2020年12月11日金曜日

2020年12月11日(ヨハネの黙示録11)

ヨハネの黙示録11
「その時、大きな地震が起こり、都の十分の一が倒れ、この地震のために七千人が死に、生き残った人々は恐れを抱いて天の神に栄光を帰した。
第二の災いは過ぎ去った。見よ、第三の災いがすぐにやってくる。」

これは第二の災いだと言います。9:12に「第一の災いが過ぎ去った。見よ、この後、さらに二つの災いがやってくる」と言っていた、第二の災いです。
この第二の災いというのは、最後の地震だけのことではなく、9:13以下、ここに至るまでの一連の災いのことを指しているのだと思います。しかしここではただ単に天変地異などの災いだけを描写してるわけではありません。特に11:3から登場する「二人の証人」が、注目すべき存在です。彼らが具体的に誰のことを指しているのかは私にはよく分かりません。しかし、彼らは証人として預言をする。預言というのは予言ではなく預言と書きますが、未来のことを言い当てるという意味ではなく、神から預かったメッセージを伝える存在です。二人の証人が預言をしているとき、この世界で何が起こっているのか。神の神殿が異邦人によって42ヶ月の間踏み荒らされる、と言っています。神礼拝が蹂躙される。それは42ヶ月である。当然この42ヶ月は文字通りの意味ではなく、象徴的な期間を指している。42ヶ月は、ここに一緒に出てくる1260日と同じ長さです。そして、それは三年半です。この三年半ということに意味があります。すなわち、三年半は七年の半分です。7は黙示録では完全数です。42ヶ月はその半分。完全ではない。神殿が異邦人に破壊され、蹂躙され、神礼拝が揺るがせにされる日が来る。苦難日々が来る。しかし、それは永遠ではない。完全な期間の半分です。必ず終わりが来るのです。しかも、その間、証人たちが神の預言の言葉を語り続けます。この苦しみの時に神の言葉が止んでしまうことはない。どのようなときにも神はその言葉を語り続ける。証人たちを通して。私たちのところへ神からの福音のメッセージを伝えてくださるのです。
証人たちは迫害されます。命を落とすことだってある。しかし、その死を超えて、神が働いてくださっている。私たちはたくさんの証人たちが命を献げて伝えた福音を聞き、それによって救われました。そして、私たちも神の命の言葉によって生かされている。今起きている苦難にだけ目を向けるのではなく、私たちの間で神が進めている出来事を見ようと聖書は私たちを招いているのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...