ヨハネの黙示録12
「そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ち、生まれたら、その子を食い尽くそうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖であらゆる国の民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へと引き上げられた。女は荒れ野へ逃げた。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。」
女と竜が登場しています。「女は太陽を身にまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていて、海の痛みのと苦しみのために叫んでいた。」そして産まれた子が「鉄の杖であらゆる国の民を治める」というのですから、産まれる子は主イエスでしょう。そうすると、この女はマリアということなると思います。あるいは、この女は神の民を象徴しているという解釈もあるようです。確かに主イエスは神の民の中に生まれ、新しい神の民を形成したのですから、それも成り立つ解釈だと思います。いや、マリアも神の民の中の一員であることを考えると、マリアであり神の民でもあると言ってもいいのかもしれません。
いずれにしても、この女がイエスを生むための苦しみを苦しんでいるとき、竜が彼女の出産を待ち、産まれた子を食べてしまおうとしていました。この竜は「いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者」と呼ばれています。悪魔がイエスを殺そうとする。そして、一度はイエスを殺すことに成功した、という事実も私たちは知っています。聖書に親しんでいると、十字架の出来事を神の御業という面からだけ見ますが、他方からすると神の子を殺すことに成功した悪魔の勝利とも言えます。この女も、やはりひどい苦しみを味わわせられました。私たちの知っている歴史の「現実」は、殆ど悪が勝利を治めているような様相を呈しています。今だって、こんなにも世間に怒りが漂っていること、こんな時に至っても弱者を助けることよりも格差が拡大していくこと、それは私たちの他者への無関心や自分の欲望を拡大することが自己実現だという思い込みに始まっているのではないでしょうか。それは悪であり、罪です。女が苦しむ現実は、こういう私たちの罪の現実です。
しかし、この女のために、1260日養うための場所があります。1260日という期間は、第11章にも登場しました。3年半。悪魔が支配し、女が苦しむ。しかしそれは、三年半です。永遠ではない。必ず終わりが来る。そして、やはり、いくら悪魔が神の子を殺したと言っても、その悪を神は善に変え、神の子の十字架の血によって私たちを罪と悪から救ってくださいました。どんな濁流を持って竜が女を押し流そうとしたとしても、女は守られています。神によって。私たちの歴史の現実は、必ず神の救いの御業によって贖われるのです。
「そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ち、生まれたら、その子を食い尽くそうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖であらゆる国の民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へと引き上げられた。女は荒れ野へ逃げた。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。」
女と竜が登場しています。「女は太陽を身にまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていて、海の痛みのと苦しみのために叫んでいた。」そして産まれた子が「鉄の杖であらゆる国の民を治める」というのですから、産まれる子は主イエスでしょう。そうすると、この女はマリアということなると思います。あるいは、この女は神の民を象徴しているという解釈もあるようです。確かに主イエスは神の民の中に生まれ、新しい神の民を形成したのですから、それも成り立つ解釈だと思います。いや、マリアも神の民の中の一員であることを考えると、マリアであり神の民でもあると言ってもいいのかもしれません。
いずれにしても、この女がイエスを生むための苦しみを苦しんでいるとき、竜が彼女の出産を待ち、産まれた子を食べてしまおうとしていました。この竜は「いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者」と呼ばれています。悪魔がイエスを殺そうとする。そして、一度はイエスを殺すことに成功した、という事実も私たちは知っています。聖書に親しんでいると、十字架の出来事を神の御業という面からだけ見ますが、他方からすると神の子を殺すことに成功した悪魔の勝利とも言えます。この女も、やはりひどい苦しみを味わわせられました。私たちの知っている歴史の「現実」は、殆ど悪が勝利を治めているような様相を呈しています。今だって、こんなにも世間に怒りが漂っていること、こんな時に至っても弱者を助けることよりも格差が拡大していくこと、それは私たちの他者への無関心や自分の欲望を拡大することが自己実現だという思い込みに始まっているのではないでしょうか。それは悪であり、罪です。女が苦しむ現実は、こういう私たちの罪の現実です。
しかし、この女のために、1260日養うための場所があります。1260日という期間は、第11章にも登場しました。3年半。悪魔が支配し、女が苦しむ。しかしそれは、三年半です。永遠ではない。必ず終わりが来る。そして、やはり、いくら悪魔が神の子を殺したと言っても、その悪を神は善に変え、神の子の十字架の血によって私たちを罪と悪から救ってくださいました。どんな濁流を持って竜が女を押し流そうとしたとしても、女は守られています。神によって。私たちの歴史の現実は、必ず神の救いの御業によって贖われるのです。