2020年12月16日水曜日

2020年12月16日(ヨハネの黙示録16)

ヨハネの黙示録16
第六の天使が、その鉢の中身を大河ユーフラテスに注ぐと、水が涸れ、日の昇る方角からやって来る王たちの道ができた。また私は、竜の口から、獣の口から、そして偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。全能者である神の大いなる日の闘いに備えて、彼らを集めるためである。ーー見よ、私は盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。ーー汚れた三つの霊は、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に王たちを集めた。

この最後に出てきた「ハルマゲドン」という言葉は、私たちの国ではとても不幸なしかたで有名になってしまいました。この出来事からも、聖書はいくらでも好き勝手に読めてしまうということがよく分かります。それを避けるためには、文脈をよく読むことが大切です。
ハルマゲドンという言葉は、ヘブライ語でメギドの丘という意味で、メギドという地名は旧約聖書にも登場しています。ハルマゲドンは地名です。その地名そのものよりも、そこで起こることが大事です。そこは竜の口、獣の口、偽預言者の口から出てきた汚れた霊どもが、神に闘いを挑むために王たちを集めた場所です。
悪霊に従えられた王たちが神に闘いを挑むなどと聞くと、いかにも非現実的な物語、ファンタジーのように感じるかもしれません。しかし、現に日々起こっていることだと思います。神の前に悔い改めることもなく、神ではないものを拝み続けるなら、現に神に闘いを挑んでいるということではないでしょうか。
私たち人間の世界は、そのような営みをずっと繰り返している。闇が深まっている。しかし、イエスは言われます。「見よ、私は盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。」夜は更け、日は近づきました。キリストの光の中で恥ずかしくない生き方をしよう、と聖書は私たちに呼びかけます。
この世界にはびこって、私たちを罪に縛り付ける汚れた霊の力は強い。しかし、所詮、あの竜の口、獣の口、偽預言者の口から出てきた霊どもは、蛙のような霊に過ぎません。ただの蛙です。私たちを照らすお方は、日の光でいらっしゃる。どちらに本当の力があるのかは、一目瞭然です。だから、私たちは今日の日を、キリストを待ち望みつつ生きます。夜は更けています。しかし、日は近いのです。キリストの光に照らされる白昼は、近いのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...