2020年12月17日木曜日

2020年12月17日(ヨハネの黙示録17)

ヨハネの黙示録17
女は、紫と深紅の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分の淫行の汚れに満ちた金の杯を手に持っていた。その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、淫らな女や地上の忌まわしい者たちの母」という名である。私は、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人の血に酔いしれているのを見た。

大淫婦が登場しました。「大バビロン、淫らな女や地上の忌まわしい者たちの母」という名前であると言います。バビロンは、かつてユダの国を滅ぼしたバビロンと同じ名前を持っています。あの当時のバビロンは何百年も前に滅びていますから、当然、象徴的な名前です。これは明らかに、ローマを指しています。大淫婦と言われていますが、ローマが性的な意味で堕落しているということを指しているわけではありません。ローマは大都会だったので性的に退廃していたかもしれませんが、ここでの「淫ら」というのは、文字通りの性的な罪という意味ではない。ここで指摘されているのは、偶像礼拝です。まことの神ならぬものを神とし、あるいは「金と宝石と真珠で身を飾り」と言われているとおりに贅沢三昧をして神を軽んじている。そういうはローマを大淫婦だと言っています。
主なる神様の前にある私たちを女に譬えるという例は、聖書の中にしばしば登場します。典型的なのは、エゼキエル書第23章です。オホラとオホリバという姉妹は、姉妹そろって淫行にふけっていた。そのために、この姉妹を裁く、と神さまは言われます。姉のオホラは北王国イスラエルを、妹のオホリバは南王国ユダを指しています。神さまを裏切って、別のものを神に仕立て上げるということは、夫婦の関係に譬えればよその男と淫行を重ねるのに等しいと言うのです。これに対し、特に29から30節で、淫行の罪を明らかにするために「あなたを丸裸にして捨て去る」と言われています。
黙示録に戻ると、16節で、「あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身ぐるみを剥いで裸にし、その肉を食らい、火で焼き尽くすであろう」とあります。身ぐるみを剥いで裸にするというのは、オホリバに対する神の裁きと同じです。ただし、ここでは獣が大淫婦の身ぐるみを剥ぐと言う。獣と大淫婦は両方とも神を憎んでいますが、しかし同時に互いに憎しみ合っている。憎しみが憎しみを呼び込んでいる。自ら、自分たちの身ぐるみを剥ぐようにして奪い合っている、ということなのでしょう。
今日の箇所はかなり壮大で、しかも恐ろしいところです。覚えたいことは、偶像礼拝が姦淫に譬えられているというのは、それだけ神さまは私たちに一途でいてくださり、情熱を持って愛してくださっている、ということです。今は忍耐の時代が続いていますが、一心に神さまを見上げていきたいと願います。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...