2020年12月29日火曜日

2020年12月29日(マタイによる福音書2)

マタイによる福音書2
ラマで声が聞こえた。
激しく泣き、嘆く声が。
ラケルはその子らのゆえに泣き
慰められることを拒んだ。
子らがもういないのだから。

主イエスがお生まれになった。神の救いの出来事が始まった。それなのに、その知らせを聞いたヘロデ王は不安になり、恐れ、怒って、ベツレヘムにいる二歳の以下の男の子を、ひとり残らず殺すという暴挙に出ました。聖書は母親たちの嘆きを、旧約聖書の言葉によって伝えています。激しく泣く声、嘆く声が聞こえる。慰められることさえ拒む。深い悲しみに包まれた。
ヘロデは「東方の博士たち」(日本聖書協会共同訳は再びこの訳語に戻りました!)から新しい王の誕生の知らせを聞きました。ヘロデは不安になった。博士たちはヘロデに「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねます。そしてヘロデ王は祭司長や律法学者を呼び寄せて「メシアはどこに生まれることになっているかと問いただした」。博士もヘロデも「どこに」と聞いています。同じことを問うている。しかし、それがベツレヘムであることを知ったときの反応は、全然違うものになりました。ヘロデは博士たちに調べに行かせた。博士たちは実際に自分たちの足で出かけ、星が幼子のいる場所を知らせたときに喜びました。ヘロデは「どこに」と問いながらも結局は全然真剣ではなく、人任せです。博士たちは実際に会いに行ったのです。
結局、ヘロデはイエスとで会うことができませんでした。それは、ヘロデの方が出会いを拒んだからです。ヘロデにもメシアと出会うチャンスはあったのです。自分の不安を優先させてそれを拒み、真剣に尋ねることもせず、結局怒りに任せてたくさんの幼児を虐殺してしまった。人間の罪の姿が端的に表れてしまった事件です。
主イエスは、幼児や母たちの嘆きの中に生まれてきました。私たちの罪がもたらす悲しみや涙にイエスは宿っておられる。私たちの救い主は、この世界の悲惨の中におられるのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...