2020年12月30日水曜日

2020年12月30日(ヨハネによる福音書1:1〜18)

ヨハネによる福音書1:1~18
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。」

ヨハネによる福音書の冒頭は、何か哲学的な、抽象的で難しいことを言っているように思えます。確かに一面ではその通りで、今日私たちに与えられている箇所は、そのほかのところよりも一言一言に込められている意味が豊かであると思います。ある意味では詩的な、一つの言葉にたくさんの含意があると思います。しかし他方では決して難しくはなく、私たちにはよく分かる言葉であると思います。
「言」について語り出している。普通の「言葉」という字ではない訳語を当てています。特別な意味が込められているに違いありませんが、ただ要するにこの言は初めに神と共にあり、命をたたえ、人間を照らす光であると言っています。さらに14節では「言は肉となって、私たちの間に宿った」と言っている。したがって、「言」は具体的にはイエス・キリストを指していることは明らかです。ここを読む上で一番大切なのはそのことです。
イエス・キリストによって、この世界の万物は成ったのだ、と言います。キリストは世界が創造されたときから、この世界に働きかけておられた。どうやって働いていたのかと言えば、命を生み出したのだと言います。キリストの内に造られた命こそ、人を照らす光だと言います。この光は闇の中で輝いている。私たちが闇の中にいても、キリストという命の光が照らしているのです。
つまり、ここで言われていることは、この世界は根本的に、キリストの命と光の祝福の中にあるのだ、ということです。私たちがこの世界にどんなに絶望したとしても、それでも世界はキリストという命の光に照らされています。この世界がどんなに腐り、どうしようもなく、滅び行く様相を呈していても、キリストの命の光は混沌の中にうずくまる私たちを照らしているのです。ヨハネによる福音書の冒頭の言葉は、キリストにある根源的な祝福を宣言します。
「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」と聖書は言います。私たちへの神の愛、この世界を照らす命の光、それはすべてイエス・キリストによってもたらされました。私たちも、この世界も、キリストの恵みと真理の中にあります。今日も、そして明日も。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...