2020年12月31日木曜日

2020年12月31日(ヨハネの黙示録22)

ヨハネの黙示録22
「私イエスが天使を送り、諸教会についてこれらのことをあなたがたに証しした。私は、ダビデのひこばえ、その子孫、輝く明けの明星である。」霊と花嫁が共に言う。「来たりませ。」これを聞く者も言うがよい。「来たりませ。」渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、、価なしに飲むがよい。

イエスは輝く明けの明星!夜明けを告げる、輝く星です。もう、朝が来ている。救いの時が来ている。イエスは私たちに夜明けが来たと言われるのです。「神の国が近づいた」と言われたあのときにも、イエスがお生まれになった夜、天使が「地には平和、御心に適う人にあれ」と歌ったときにも、イエスという明けの明星が輝きだしていました。救いの時は、もうここに来たのです。
ヨハネの目の前にも、私たちの目の前にも、真夜中の闇に覆われているような現実が広がっています。悪魔が大手を振るっているような現実。私たちの愛はまったく冷え切ってしまっているかのよう。しかし、イエスという星がもう空に輝いています。この星は明けの明星です。夜明けを告げる星です。
だから、私たちの祈りは「主よ、来たりませ」です。私たちはキリストが再び来てくださる日を待ち望んで、キリストが来てくださる救いの日に向かって生きています。私たちが今この時代を生きるために痛むこと、悲しむこと、いろいろなことがあるでしょう。しかし主イエスが来てくださる救いの日、私たちのために命の水を飲ませ、命の木の実によって私たちを生かしてくださいます。私たちはこの世に報いを求めることなく、キリストの愛に生きるように招かれています。
主よ、来たりませ。私たちはこの祈りをしつつ、この年を終えていきます。私たちは主イエスを待ち望みつつ、新しい年を迎えます。主が再び来て、私たちを救ってくださるその日を目指して、私たちは報いがなくともイエスを愛し、ご褒美を期待せずにキリストに従います。もうすでに主が私たちを愛してくださっているからです。私たちは悲惨な世界のただ中にあって神を礼拝します。そのために、神に造られ、命を与えられたからです。キリストを待ち望むことにこそ、私たちの望みがあるのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...