2020年12月3日木曜日

2020年12月3日(ヨハネの黙示録3)

ヨハネの黙示録3
「あなたは忍耐についての私の言葉を守った。だから、地上に住む人々を試すために全世界に迫り来る試練の時に、私もあなたを守ろう。私はすぐに来る。あなたの冠を誰にも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。」

ヨハネがパトモス島に流刑にされたとき、ある主の日に見た幻です。イエス・キリストが栄光に輝く姿をし、ヨハネに語りかけました。最初に七つの教会へのメッセージが語られています。冒頭に挙げたのはその内の六つ目、フィラデルフィアの教会への言葉です。
ヨハネ自身がこのとき流刑にされていました。ローマ帝国による迫害が厳しさを増している時代です。そういう中で、フィラデルフィアの教会はよく忍耐した、と主イエスが褒めておられます。「あなたは忍耐についての私の言葉を守った」と。具体的にどの言葉のことなのかは指示されていませんが、例えばマルコによる福音書第13章などを見ると、大きな苦難が来ることを予告しています。大いなる苦しみの時が来る。しかし、必ずキリストが再び来て私たちを救ってくださる。目を覚まして、その時を待つように、と言います。忍耐の教えです。
私は、自分は忍耐することが下手だと思います。忍耐しないですぐに諦めたり楽な方に流れてしまったりするのは、もしかしたら今の時代の精神なのかもしれません。私はその意味でも時代の子なのだと思います。ところが、主イエスは忍耐することを尊んでおられる。忍耐は我慢とは違います。先ほどのマルコによる福音書の言葉でも、キリストが来るという約束によって、初めて忍耐が成りたちます。忍耐は、希望を持って待ち望むことです。キリストは忍耐するものに、「全世界に迫り来る試練の時に、私もあなたを守ろう」と言ってくださるのです。キリストはすぐにでも来て、忍耐する者を守ってくださる。
今は何でもスピード重視ですし、インスタントなものに溢れています。メールの返事がちょっと遅いだけで心が揺れてしまう。キリストを信じる私たちは、もう一度忍耐の価値を見出すべきなのかもしれません。忍耐は、今はそうではないけれども必ず約束が実現されるということを信じることです。今のこの苦しみが来たるべき時に至る試練なのだと信じ、神の支配はここにも及んでいると信じることです。そして忍耐は、相手への信頼です。キリストが私たちを見捨てること、見放すことなどありえない。私たちは、このお方が来てくださることを待ち望んでいます。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...