詩編18
苦難の中から主に呼びかけ
わが主に叫びを上げると
主はその宮から私の声を聞き
叫びは御前に至り、その耳に届く。
地はおののき、揺らぎ
山々の基は震え、おののいた。
主が怒ったからだ。(7~8)
この詩編は敵の脅威に苦しめられる人の祈りです。しかも「死の縄が巻き付き、滅びの河が私を脅かす」と言っているとおり、死までも考えないわけにいかない厳しい状況に置かれています。その苦悩の中から主に助けを求めて、叫んでいます。すると、主は私の声を聞いてくださる。叫びは神の御前に届き、神は私の声に耳を傾けてくださる。主はその叫びを聞いて怒りを燃やす。そのために「地はおののき、揺らぎ、山々の基は震え、おののいた」とまで言っています。
この詩編18はずいぶん長い詩編ですが、私にいちばん印象深かった言葉は、この「地はおののき・・・」というところでした。たいへんなことを言っていると思いました。もちろん、私が祈れば神が怒って地震を起こす、などといっているのではありません。当然、比喩です。それではこの比喩で一体何を言っているのか?地はおののき、揺らぎ、山々の基は震え、おののいた。地も山々の基も、私たちが生きる基盤です。これだけは絶対に覆らないと信じている土台です。しかも大地は私にとっても敵にとっても共通のプラットフォームです。大地のように絶対に確かだと無意識のうちに信じているものがひっくり返ってしまう。そういうことなのではないかと思います。
地がおののき、揺らぎ、山々の基が震え、おののく。大地でさえ、何一つ確かなものは無い。しかし神を信じる者は神に向かい続けます。このような異常な事態も、神のあずかり知らないものではないからです。この社会の中でどんなに盤石だと思われているあらゆる制度も力も、どんなものであってもいつかは必ず覆るときが来る。しかし、神さまはそうではありません。「主をおいて誰が神であろうか。我らの神のほかに誰が大岩であろうか。」この方を信じ、従うとき、私を苦しめる敵の存在は絶対的なものではなくなります。私たちの目を、神さまに向けましょう。
苦難の中から主に呼びかけ
わが主に叫びを上げると
主はその宮から私の声を聞き
叫びは御前に至り、その耳に届く。
地はおののき、揺らぎ
山々の基は震え、おののいた。
主が怒ったからだ。(7~8)
この詩編は敵の脅威に苦しめられる人の祈りです。しかも「死の縄が巻き付き、滅びの河が私を脅かす」と言っているとおり、死までも考えないわけにいかない厳しい状況に置かれています。その苦悩の中から主に助けを求めて、叫んでいます。すると、主は私の声を聞いてくださる。叫びは神の御前に届き、神は私の声に耳を傾けてくださる。主はその叫びを聞いて怒りを燃やす。そのために「地はおののき、揺らぎ、山々の基は震え、おののいた」とまで言っています。
この詩編18はずいぶん長い詩編ですが、私にいちばん印象深かった言葉は、この「地はおののき・・・」というところでした。たいへんなことを言っていると思いました。もちろん、私が祈れば神が怒って地震を起こす、などといっているのではありません。当然、比喩です。それではこの比喩で一体何を言っているのか?地はおののき、揺らぎ、山々の基は震え、おののいた。地も山々の基も、私たちが生きる基盤です。これだけは絶対に覆らないと信じている土台です。しかも大地は私にとっても敵にとっても共通のプラットフォームです。大地のように絶対に確かだと無意識のうちに信じているものがひっくり返ってしまう。そういうことなのではないかと思います。
地がおののき、揺らぎ、山々の基が震え、おののく。大地でさえ、何一つ確かなものは無い。しかし神を信じる者は神に向かい続けます。このような異常な事態も、神のあずかり知らないものではないからです。この社会の中でどんなに盤石だと思われているあらゆる制度も力も、どんなものであってもいつかは必ず覆るときが来る。しかし、神さまはそうではありません。「主をおいて誰が神であろうか。我らの神のほかに誰が大岩であろうか。」この方を信じ、従うとき、私を苦しめる敵の存在は絶対的なものではなくなります。私たちの目を、神さまに向けましょう。