2021年1月21日木曜日

2021年1月21日(詩編25)

詩編25
主を畏れる人とは誰か。
主はその人に選ぶべき道を示す。(12節)

私はこの詩編第25編12節が若い頃からとても好きでした。今も、これを読むと胸が熱くなる思いがします。ただ、今回この詩編を読み、12節だけではなく詩編全体の中の12節として読むことがとても大事なのだな、と思いました。
この詩編では、例えば4節に「主よ、私にあなたの道を知らせ、行く道を教えてください」とあり、8節にも「主は恵み深く、正しい。それゆえに、罪人に道を示す」とありますので、この詩編にとって「道」というのがとても大切な事柄であることは間違いありません。それと共にこの詩編で繰り返されているのは、今の8節にも書かれていた罪に関わる事柄です。7節「私の若き日の罪や背きを思い起こさず・・・」、11節「私の過ち」、18節「私の罪のすべてを」。
この詩編は17節で「心の苦悩から解き放ち、苦難から私を引き出してください」とあり、苦悩や苦難の中にいる人の祈りの言葉であることが分かります。2節を見ると敵が出て来るので、人間関係でとても辛い目に遭っていたということであるのかもしれませんが、恐らくその根本的な問題は自分自身の罪や過ちだったのだと思います。だから、そのような私の罪を赦し、あるいはそれを思い起こさないでください、と祈っているのではないでしょうか。
これは私たちにもよく分かることです。表面的には他人に問題があるように見えて、実は自分の罪や過ちが問題を生み出したり複雑にしたりしてしまっている。それが私たちの現実なのではないでしょうか。
「主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示す。」主を畏れる人というのは、自分の罪を悔い、神に赦しを求め、敵として自分の前に立つ者との間に神に立って頂くことを乞う者ではないでしょうか。主は、主を畏れる者に選ぶべき道を示してくださいます。私たちが今日生きるための道を、神は示してくださいます。

2024年4月20日の聖句

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