2021年1月25日月曜日

2021年1月25日(詩編29〜30)

詩編29~30
主は洪水の上に座し
主は王として、とこしえに座した。
主がその民に力を与えてくださるように。
主がその民を祝福してくださるように
  平安のうちに。(30:10~11)

川の水はかの平清盛にさえもどうにもならないと言わしめたと聞き及んだことがあります。私たち人間の力の外にある。治水工事をしたり、いろいろな対策を講じることはできても、限界があります。もちろん洪水だけではなく、雷も大雨も、山も動物も、人間の力の外にあります。現代社会は自然世界を制圧できるような傲慢な思い込みを信じ切っているようなところがありますが、私たち人間の力は決して大きなものではありません。
しかし、主なる神様は洪水の上に座す方です。私たちの手に余るこの世界のすべてを造り、支配しているのは、神さまです。そのことに対して謙虚でありたいと今日の詩編の祈りの言葉を読んで考えさせられました。
洪水や自然の驚異だけではなく、私たちには自分ではどうすることもできないことがたくさん起きます。過去と他人は変えられないと言います。その通りだと思います。だからこそ、神さまの前に身をかがめて、へりくだりたいと願います。

夕べは涙のうちに過ごしても
朝には喜びの歌がある。(30:6)

本当に美しい祈りの言葉です。涙のうちに夕を迎え、夜を過ごさなければならない時も、神さまが喜びの歌を授けてくださる朝を迎えることができます。私たちには変えられないこともたくさんありますが、しかし、私たちの手に余ることへの涙を、神さまが喜びに変えてくださるときは必ずやって来ます。私たちはそのことを信じてる。

あなたは私の嘆きを踊りに変え
私の粗布を解き、喜びの帯とされました。
それは、心の底からあなたをほめ歌い
口をつむぐことのないためです。(30:12~13)

キリストが私の嘆きを喜びに、賛美に変えてくださる。その日を待ち望みつつ、キリストを待ち望みつつ、私たちの新しい一日が始まります。

2024年3月29日の聖句

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