2021年1月26日火曜日

2021年1月26日(詩編31)

詩編31
主をたたえよ。
包囲された町で
  主は私に慈しみの奇しき業を行われた。
私はうろたえて言いました。
「あなたの目の前から私は絶たれた」と。
しかし、あなたに向かって私が叫ぶと
嘆き祈る私の声をあなたは聞かれた。(22~23節)

深く、厳しい苦しみの中で、神さまに向かって助けを求める祈りの言葉がこの詩編31です。「主よ、憐れんでください。私は苦しんでいます。目は憂いによって衰えました。魂もはらわたも」(10節)。悲しみは深く、嘆きのために力が尽き果ててしまいました。そういう私を見ても周りの人は助けてはくれず、却って自分を遠ざけ、逃げ、私は忘れられてしまった。そのように訴えています。
この詩編は比較的長い詩編です。嘆きの言葉が重ねられています。私がこの詩編の言葉を読んでいちばん心に残ったのが、冒頭の言葉です。「包囲された町で、主は私に慈しみの奇しき業を行われた。」神さまの慈しみに気づいたのは、包囲された町でした。困ったことが解決したから、奇跡的に助けられたから神さまを賛美しますと言っているのではありません。包囲された町で神さまの慈しみの奇しき業を知ったのです。不条理なこと、どうしても変わってくれない辛いこと。悲しみ。それらに取り囲まれている中で、神さまは私たちに慈しみを示してくださいます。
私たちはうろたえます。厭なことしか目に入らなくなってしまうこともあります。「あなたの目の前から私は絶たれた」としか言いようがないときがあります。しかし、神さまは私たちの祈りを聞いてくださっています。必ず。
「主よ、私はあなたに信頼します」とこのキリスト者は告白します。私たちも同じように告白します。「主よ、私はあなたに信頼します。」私たちの主は十字架にかけられた方です。「十字架から降りて」自分を救ってみろ」と罵られたとき、その侮辱を甘んじて受けた方です。この方は敵に囲まれる私たちの祈りを聞き、私たちのための慈しみの業に生きぬいてくださいました。
今日も、このお方の奇しき御業の内に、祝福の中で一日を歩まれますように。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように。

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