2021年2月13日土曜日

2021年2月13日(詩編51)

詩編51
神よ、私を憐れんでください。
  あなたの慈しみによって。
深い憐れみによって
  私の背きの罪を拭ってください。
過ちをことごとく洗い去り
私を罪から清めてください。(3~4節)

この詩編は1節の表題で、ダビデがバト・シェバと密通し、預言者ナタンにその罪を指摘されたときのことだと書かれています。ダビデは庭で水浴びをしているバト・シェバを見初め、王としての地位を利用して関係を持ちます。バト・シェバはそのときのことで妊娠しました。ところがバト・シェバにはウリヤという夫がおり、発覚を恐れたダビデは隠蔽工作をしますがうまくいかず、結局ウリヤを故意に戦死させました。バト・シェバを手込めにし、人殺しまでしたのです。その後、預言者ナタンがダビデのもとにやって来て、彼の罪を厳しく非難しました。この詩編はそのときのダビデの祈りの言葉です。
私たちにはどうしても取り返しのつかない過ちを犯してしまうことがあります。ダビデがどんなに悔いても、ウリヤは戻って来ません。ダビデの家族も、この後崩壊していき、彼はその後自分の息子に命を狙われるようにさえなっていきます。ダビデの犯した罪はダビデ自身にも、周囲にも大きな傷を残しました。中でも、王の権威を持って関係を強いられ、夫まで殺されたバト・シェバはどうでしょうか。どんなにお詫びしても仕切れない罪。ダビデはすばらしい英雄であり王としても名君でしたが、本当に大きな過ちを犯してしまった人でもあります。聖書はその事実を隠しません。
神に憐れみを求めることしか、ダビデにはできませんでした。ダビデはこのようにも祈ります。「ヒソプで私の罪を取り去ってください、私は清くなるでしょう。私を洗ってください、私は雪よりも白くなるでしょう。」ダビデには、神さまに期待することしかできませんでした。この血に汚れた手、緋のような罪、それを清めることができるのは神さまだけだからです。
「赦してください」というダビデの祈りは、彼が犯してしまった過ちを考えるとムシがいい祈りでしょうか。そうかもしれません。しかし、私たちの罪は、ダビデに比べて軽く済んでいるのでしょうか。私たちはダビデのような愚かな過ちは犯していないのでしょうか。そういうことのできる人間は、いないのではないでしょうか。私たちは、ムシがよくも、ただただ神さまに「赦してください、憐れんでください」と祈るより他ないのです。

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