2021年2月15日月曜日

2021年2月15日(詩編53)

詩編53
愚か者は心の中で言う。
「神などいない」と。
彼らは堕落し
忌むべき不正をなす。
善を行う者はいない。(2節)

「神などいない」と言ってのけるのは愚か者のすることだ、と言います。ここでの「神などいない」と言う、というのは、狭義の意味でクリスチャンかどうかということに留まらないと思います。生き方が「神などいない」と言ってはいないかという問いであるのだと思います。
「神などいない」と言ってしまっている生き方。それは、神が忌む不正をなし、善を行おうとしないことです。神に背き、腐り果てることです。人々を食い物にし、悪事によって私腹を肥やすことです。
この数年間、グレタ・トゥンベリさんという若い女性が環境問題についての大人たちの偽善を暴きました。不都合な事実を指摘したために、ひどい非難と糾弾を受ける羽目になりました。私は、彼女の指摘は真摯に聞くべき言葉であると思っています。一つの言い方をすれば、これまでのように豊かになることを求めて環境の悪化に目をつぶることは、この先の世代からの収奪です。神さまがお造りになった世界を食い潰すことを神さまがお喜びになるはずはないし、現代の貧しい人や環境、この先の世代が生きるべき場所を奪い取って豊かさを追求することは、「パンを食らうように私の民を食い尽くし」という指摘そのものであると思います。それは、「神などいない」という生き方になってしまっている。問題の急所は、私たちの欲望の拡大と達成を善とする社会の在りよう、消費主義です。
しかし、聖書は「神などいない」と嘯く生き方は愚かだと言います。だから、悔い改めて神さまの御許に立ち帰りましょう。この詩編の最後は「神が民の繁栄を回復されるとき」となっています。神が主語です。神が回復してくださる。私たちが奪い合い、自分のものを増やし、豊かさを維持するために収奪することをやめ、神さまの前に貧しい者となることを、神さまは望んでおられるのではないでしょうか。神さまご自身が、ご自分の民を回復してくださることを信じましょう。

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