2021年2月7日日曜日

2021年2月7日(詩編44)

詩編44
神よ、この耳で私たちは聞きました。
先祖が私たちに語り伝えたことを
先祖の時代、いにしえの日々に
  あなたのなされた業について。(2節)
彼らは自分の剣によって土地を得たのでも
自分の腕で勝利を得たのでもありません。
あなたの右の手、あなたの腕、
あなたの顔の光によるものでした。
あなたが彼らを望まれたのです。(4節)

旧約聖書のイスラエルの人々を「神の民」と呼ぶことがあります。神さまを信じる者たちが一つの民を形成する。単に一人で勝手に、個人的な心の問題として信じているということ以上の出来事です。民である以上、自分の世代だけの話ではなくなります。前の世代があり、後の世代がある。そこでは記憶が継承されます。民の歴史を自分自身の歴史として継承します。
「神よ、この耳で私たちは聞きました。先祖が私たちに語り伝えたことを」と言っていますが、まさにここで記憶の継承が起こっています。そこで継承されている記憶というのは、「あなたのなされた業について」です。神さまが私たちの民にどのように振る舞い、何をしてこられたのか。そのことを民の記憶として受け継ぎ、私もそれ受け取っている。
神さまは私たちの先祖に何をしてこられたのか。「彼らは自分の剣によって土地を得たのでも、自分の腕で勝利を得たのでもありません。」私たちの先祖は非力だった。無力だった。今私たちが行きいているこの地を自分の力で獲得したのではなかった。「あなたの右の手、あなたの腕、あなたの顔の光」がすべてを与えてくださった。だから、自分が受け継ぐ民の記憶、それは神さまの憐れみと恩寵の記憶です。
しかし、目の前の現実がその記憶と矛盾することは往々にして起こります。だからこそ、私たちは信じるのです。誰の目にも明らかなことなど、信じるという名には値しません。目の前の現実が民の記憶と矛盾する混沌であるからこそ、私たちは忍耐して待ち望むのです。
私たちは祈ります。「立ち上がり、私たちを助けてください。あなたの慈しみのゆえに私たちを贖ってください」と。私たちも記憶の民の一員として、神さまの慈しみを次の世代に語り伝えていくのです。

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