2021年3月28日日曜日

2021年03月28日(しゅろの主日・マルコ11:1〜19)

マルコによる福音書11:1~19
「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それほどどいて、連れて来なさい。」

今日から受難週になりますので、この一週間は受難週の御言葉に耳を傾けていきたいと思います。
主イエス様は、エルサレムの都に入城するとき、子ろばに乗っていかれました。私はこの話が大好きです。柔和な主イエスのお姿が目の前にそのままにおられるような思いになります。子どもと一緒に動物園に行くことがありますが、ろばを見ると嬉しくなります。「君のご先祖がイエスさまを背に乗せたのだね」と話しかけたりします。そのろばは、なんと幸せなことでしょう。一生の誉れです。
ろばはとても重用されてきた動物ですが、あまり賢いわけではなく、重んじられてきたということでもないと思います。畑の仕事を手伝わせたり、荷物を運ばせたりするための家畜です。馬と似ていますが、やはり違ったのだと思います。軍人や王様が乗る動物ではありませんでした。
旧約聖書のゼカリヤ書9:9には、「あなたの王があなたのところに来る」と言って、すぐに「へりくだって、ろばに乗ってくる」と言っています。わざわざろばに乗ってくると言及するということは、裏を返せば通常は考えられないことだということでしょう。そして、ろばに乗るのはこの王のへりくだりだ、と言っているのです。
私たちの王であるキリストは私たちのところにも来てくださっています。ろばに乗って。小さな子ろばに乗って。へりくだった姿で、優しさを身にまとって、私たちのところへ来てくださっています。私たちも喜んでお迎えしましょう。「ホサナ。主の名によってこられる方に、祝福があるように」と言って。「ホサナ」というのは、「救ってください」という意味です。私たちを救うのは、軍馬に乗った王ではありません。聖火リレーのように強力なスポンサーが付いたりやり手の広告企業が付いて効果的な宣伝をしたり、麗しい見た目を演出したショーにも、私たちの魂を救うことはできません。私たちを救うことができるのは、ろばに跨がる王です。柔和で謙遜になってくださった神の子こそ、私たちを救うことのできる方です。
今日、私たちのところに尋ねておられるキリストを、私たち自身もへりくだりをもって、お迎えしましょう。

2024年4月23日の聖句

神の道は完全。(詩編18:31) (イエスの言葉)「神の国は次のようなものである。人が地に種を蒔き、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるからだ。」(マルコ4:26~28) 福音書記者マルコは主イエ...