2021年3月16日火曜日

2021年3月16日(詩編85)

詩編85
主なる神が何を語られるかを聞こう。
主は平和を語られる
その民、忠実な人たちに
彼らが愚かさに戻らないように。
確かに、救いは主を畏れる者に近く
栄光は私たちの地に住む。(9~10節)

この詩編は冒頭で「主よ、あなたはご自分の地に恵みを示し・・・民の過ちを取り除き、その罪をすべて覆ってくださった」と言っているとおり、罪の赦しへの感謝の詩編ということであろうと思います。
罪の告白は、私たちの信仰生活にとってとても大切です。カトリック教会の教会堂に行くと、片隅に小さな部屋があります。そこでは「赦しの秘蹟」がなされる。昔の言い方では「告解」と呼ばれていました。その小さな部屋の中で信者が神父に罪の告白を聞いてもらうのです。私たちの教会にはまったく同じかたちでの「赦しの秘蹟」は受け継がれませんでした。しかし、罪の告白をとても大事に考えていることはまったく変わりません。むしろ、大事にするからこそ告解室の外に罪の告白を持ち出したのです。
さがみ野教会の礼拝でも「罪の赦しと照明を求める祈り」というのがあります。私たちは主日礼拝で罪の告白をする。あるいはそれだけではなく、私たちは相手が神父や牧師に限らず、キリスト者同志で罪の告白をし、共に神の赦しを求める祈りをする。そうやって、神さまの赦しの恵みを私たちは体験します。
「主なる神が何を言われるかを聞こう」とこの詩編は言っています。主は罪を告白する私たちに何を語りかけていてくださるのでしょうか。「主は平和を語られる」。私たちが再び愚かさに戻らないように、私たちのために平和をつくり出す恵みの言葉を神さまは語りかけていてくださいます。私たちは共にこの神の言葉に聞き、神の前にへりくだって歩んでいく。使徒信条はこの事実を「聖徒の交わり」と呼びました。私たちは共にキリストの平和、私たちのための和解の福音を聞く罪人の集まりなのです。

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