2021年3月17日水曜日

2021年3月17日(詩編86)

詩編86
わが主よ、私を憐れんでください。
私は日夜あなたを呼び求めます。
あなたの僕を喜ばせてください。
わが主よ、私の魂はあなたを仰ぎ見ます。
わが主よ、あなたは恵み深く、赦しを与える方。
あなたを呼ぶすべての者に
  慈しみに富んでおられます。
主よ、私の祈りに耳を傾け
嘆き願う私の声を聞いてください。(3から6節)

嘆きの日、悲しみの夜の祈りの言葉です。神さまを求め、神さまの憐れみと赦しを求めて祈ります。「私は日夜あなたを呼び求めます」という言葉が私はとても好きです。思えば、主イエス様ご自身が日夜祈る方です。朝まだ早い内に一人で祈りをし、夜を徹してゲツセマネの園で祈りをなさいました。弟子たちが湖で風邪に悩まされる夜にも祈りをし、弟子たちはそうやって祈る主イエス様に「祈りを教えてください」と願いました。日夜、主イエスは神さまを呼び求めておられます。
祈りは、神さまを呼び求めることです。しかも、大胆にも「私を喜ばせてください」と祈ることが許されているのです。ありがたいことです。私たちは苦行として祈るのではありません。意味も分からずむやみに呪文を唱えるのでもありません。神さまを親しく呼び求め、喜びを戴きます。それは、私たちの魂が神さまを仰ぎ見る喜びです。神さまの深い恵み、慈しみ、赦しを経験する喜びです。嘆きの中で、私たちは祈ることによって神の恵みを経験することができる。

あなたの慈しみは私を越えて大きく
私の魂を深い陰府から
  救いだしてくださいました(13節)。

私たちがどんなに深いところに沈み込んでいたとしても、神さまは私たちを救い出してくださいます。私たちから神の憐れみが消え失せてしまうことなどありえないのです。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...