2021年3月19日金曜日

2021年3月19日(詩編88)

詩編88
しかし、主よ、私はあなたを叫び求め
朝には、私の祈りはあなたに向かいます。
主よ、なぜあなたは私の魂を拒み
御顔を私に隠すのですか。(14~15節)
あなたは私から愛する者と友を遠ざけ
闇だけが私の親しい者となりました。(19節)

深い絶望の詩編です。この詩編の中には希望が見えません。神を呼び求める。恐らく、夜陰の中での祈りなのでしょう。夜を徹して祈り、そしてやがて「朝には、私の祈りはあなたに向かいます」と言う。ところが、それでも思い知らされることは、他ならぬ神ご自身が私の魂を拒み、神の御顔は私から遠い、ということ。救いが見えないのです。希望がない。愛する者も友も遠ざけられ、私の親しい者は闇だけ。絶望だけが私の周りに残っている、と言います。
絶望の中で、この一人の信仰者は死と隣り合わせになり、そのこともまた一層絶望を深くしています。「死人のように捨てられ、刺し貫かれ、墓に横たわる者のようになりました。もはやあなたはそのような者に心を留められません。御手から切り離されたのです」(6節)。だから、このように言わざるを得ない。「あなたは死者のために奇しき業をなさるでしょうか。死者の霊が起き上がって、あなたをほめたたえるでしょうか」(11節)。
この詩編その者の中には希望がありません。まったくの闇、こんなに深い絶望はないという言葉です。しかし、この詩編を読めば読むほどに、私たちには一人の方のお姿が鮮やかに示されます。この詩編の描く深い絶望のどん底、まさに神から最も遠く切り離され、捨てられた陰府の底に立たれた方がおられるのです。この詩編は、陰府に降られたイエス・キリストのお姿を私たちに見せています。
使徒信条は主イエス・キリストが陰府に降られたと告白します。陰府に降ったとは何を意味しているのか?主は十字架の上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫んだ。キリストが陰府に降ったのはその時です。神に捨てられて死なれたのです。キリストが降った陰府の闇、絶望が、この詩編第88編に伝えられているのです。私たちのためにキリストがなめ尽くした絶望。神に捨てられ、陰府にうち捨てられた。私たちの絶望の時に私たちを救うのは、いちばん低いところに降ったキリスト、陰府の底で死者の中から起き上がって神をほめたたえたキリストだけなのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...