2021年4月22日木曜日

2021年4月22日(詩編116)

詩編116
あなたは私の命を死から
目を涙から
足をつまずきから助け出してくださった。
主の前を私は歩む
生ける者の地で。
私は信じる
「とても苦しい」とあえぐときも
「人は皆嘘つきだ」と口走るときも。(8~11節)

「私は主を愛する」という告白から始まっています。主は嘆き祈る私の祈りを聞いてくださる方、私に耳を傾けてくださる方。私の祈りを聞いてくださる神さまの愛。それに気付いたとき、私の内にも神さまへの愛が生まれます。絡みつく死の綱、迫り来る死の脅威、私が苦しみと嘆きに突き当たるとき、私を救ってくださるのは神さまに他ならない。主イエス・キリストにあって、私を救ってくださった。その神の愛に気付いたとき、私たちの内に神への愛が生まれます。
私たちの主なる神様への愛は、「良いとき」だけのことではありません。自分の願いが叶えられたり、思わしいとき、神さまへの愛を実感できるようなときだけの愛ではない。主イエスを十字架にかけてまで私たちを愛し抜いてくださった神さまは、私たちの逆境の時にも、私たちへの愛を変えることがないからです。
私たちの命を死から、目を涙から助け出してくださるのは、神さまです。私たちの足をつまずきから助けてくださるのも、神さまです。「とても苦しい」とあえぐとき、それでも私たちは主の前を歩きます。「人は皆嘘つきだ」と口走るような状況でも、キリストは真実な方です。
私たちは、一体どうやって主にお返しすれば良いのでしょう。この詩編では「主の名を呼ぼう」と言っています。主の名を呼ぶというのは、祈るということでしょう。主に叫ぶということでしょう。主を愛し、主を求め、主を信じるということでしょう。私たちの救いはこのお方にある。この神を私たちは愛し、その真心を込めて、祈りを献げるのです。

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