彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。(イザヤ53:5)
イエスは、私たちの過ちのために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです。(ローマ4:25)
今日の御言葉は、神秘的な響きがあると思います。「彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。」どういうことなのでしょうか。「彼が受けた打ち傷」が私たちを癒やすというのは、どういう意味なのでしょうか?
何よりも先ず、この「彼」は主イエス・キリストをおいて他にはいません。主イエスがお受けになった傷によって私たちは癒やされた。そのことを今日の新約の御言葉はこのように言っています。「イエスは、私たちの過ちのために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです。」
この御言葉がはっきりと言っているのは、主イエスが死なれたのは私たちの過ちのためであった、ということです。つまり、私たちが過ちを犯してイエスを殺したと言っています。私たちが主イエスを殺したのです。私が神の子を殺した。この事実が罪の正体です。私たちは自分のためであれば神の子でさえ殺してしまいます。ところがそのイエスを神は復活させられた。「(イエスは)私たちが義とされるために復活させられたのです」。死者の中から復活した真の王メシアとして、イエスは私たちを義としてくださる。私たちを神の前に立たせてくださる。
「彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。」私たちは、神の子を殺した。このお方が受けた打ち傷によってでしか救われないほどに罪深い、ということではないでしょうか。私たちが傷を負わせ、殺したお方を神は復活させて私たちを義としてくださいました。私たちは、私たちが憎んで殺したお方の憐れみによってでなくては救われようがないのです。
イエスは、私たちの過ちのために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです。(ローマ4:25)
今日の御言葉は、神秘的な響きがあると思います。「彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。」どういうことなのでしょうか。「彼が受けた打ち傷」が私たちを癒やすというのは、どういう意味なのでしょうか?
何よりも先ず、この「彼」は主イエス・キリストをおいて他にはいません。主イエスがお受けになった傷によって私たちは癒やされた。そのことを今日の新約の御言葉はこのように言っています。「イエスは、私たちの過ちのために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです。」
この御言葉がはっきりと言っているのは、主イエスが死なれたのは私たちの過ちのためであった、ということです。つまり、私たちが過ちを犯してイエスを殺したと言っています。私たちが主イエスを殺したのです。私が神の子を殺した。この事実が罪の正体です。私たちは自分のためであれば神の子でさえ殺してしまいます。ところがそのイエスを神は復活させられた。「(イエスは)私たちが義とされるために復活させられたのです」。死者の中から復活した真の王メシアとして、イエスは私たちを義としてくださる。私たちを神の前に立たせてくださる。
「彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。」私たちは、神の子を殺した。このお方が受けた打ち傷によってでしか救われないほどに罪深い、ということではないでしょうか。私たちが傷を負わせ、殺したお方を神は復活させて私たちを義としてくださいました。私たちは、私たちが憎んで殺したお方の憐れみによってでなくては救われようがないのです。