2021年4月30日金曜日

2021年4月30日(詩編119:45〜48)

詩編119:45~48(ワウ)
私は自由に歩みます。
あなたの諭しを尋ね求めているからです。
あなたの定めを王たちの前でも話します。
何ら恥じるころはありません。
私はあなたの戒めを愛し、喜びとします。
私はあなたの戒めを愛し
  それに向かって両手を上げ
あなたの掟に思いを巡らします。(45~48節)

「あなたの定めを王たちの前でも話します」と言っていますが、恐らくこの「王たち」というのは、イスラエルの王たちではない別の支配者たちのことであろうと思います。つまり、同じ信仰を共有していない支配者たちのことです。そうでなければ、わざわざ「何ら恥じるところはありません」と言う必要がないので、主なる神様を信じていない人を前にしても主の定めを表明し、そこに生きていきますという宣言であろうと思います。
私が母教会で出会ったあるキリスト者がしてくださった話を思い出しました。その方は今はもう80歳くらいでいらっしゃると思いますが、私が学生だった頃(20年くらい前)に伺った話です。一般の企業で勤め上げた方です。彼の会社の屋上には社長が建てた小さな社があった。社員たちは朝礼か何かの時にそこを参拝することを求められていた。しかしこの方はキリスト者でしたから、それはできなかった。そこで、事情を話し、参拝しない許しを得たのだそうです。ただし、この方は自分がキリスト者であることを盾にとって周りを顧みずに断固拒否したのではありません。誠実に仕事をし、周囲の信頼を得て、お前がそう言うならと言って頂いたそうです。私にとっては忘れられない、信仰の証しでした。
主の定めに生きることは、自由になることです。周りの空気に従うことも不自由ですし、周りへの思いやりを忘れて自我を通すことも不自由です。私たちは神さまへの愛と喜びをもって信じます。神さまへの愛と喜びは、隣人を愛し、共に生きる喜びと矛盾しないはずです。私たちは神が与えてくださった愛の掟、キリストの愛が込められた御言葉を思い巡らし、神と隣人への愛をもって、今日も生きていきます。

2024年4月24日の聖句

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