2021年4月29日木曜日

2021年4月29日(詩編119:33〜40)

詩編119:33~40(へー)
空しいものを見ないよう、私の目をそらせ
あなたの道で私を生かしてください。(37節)
御覧ください。私はあなたの諭しを慕います。
あなたの義によって私を生かしてください。(40節)

空しいものを見ないように、私の目をそらさせてください。そういう祈りに触れて、私はヨハネの黙示録の言葉を思い出しました。「しかし、ティアティラの人たちの中で、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる深みを知らないあなたがたに言う。私は、あなたがたにほかの重荷を負わせない。ただ、私が来るときまで、今持っているものを固く守りなさい(黙示録2:24~25)」。ティアティラの教会は、偶像礼拝にいざなう偽預言者が現れていたようです。神ならぬものに教会の人々を誘いゆく。ティアティラ教会は行いと愛と信仰と、あらゆる面で優れていました。しかし、この偽預言者を大目に見てなすがままにさせているところに大きな問題がある。そのように指摘されています。
そういう話の流れの中で、「しかし、ティアティラの人たちの中で、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる深みを知らないあなたがたに言う」と言われています。この偽預言者に惑わされず、ただ神様だけを礼拝することをやめなかった人たち。この人たちは「サタンのいわゆる深みを知らない」と言われています。神さまは、彼らにほかの重荷を負わせることはないのです。
うっかりすると、神さまだけのことではなくて、空しいものやサタンの深みと言われているようないろいろな事もよく見て、しっかりと比較した上で神さまを信じた方が良いと考えてしまいがちです。しかし、聖書は、それは必要ないと言うのです。むしろ、空しいものから私の目をそらさせてくださいと祈ったらいい、と言います。神さまは、ご自分を信じること以外の重荷を私たちに負わせないのです。
私たちが愛し、慕うのは、空しいものでもサタンの深みでもなく、「あなたの諭し」、つまり神さまの御言葉です。これこそが私たちを生かしてくださる。私たちは単純な心を持ってまっすぐに神さまを信じてよいのです。

2024年4月27日の聖句

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