2021年5月17日月曜日

2021年5月17日(詩編120)

詩編120
  都に上る歌。
苦難の時に主に呼びかけると
主は私に答えてくださった。
「主よ、私の魂を助け出してください
偽りの唇から、欺きの舌から。」

この詩編の冒頭に「都に上る歌」という表題が付いています。これからしばらく、同じ題名が付いた詩編が続きます。これらは謂わば「巡礼歌」。エルサレムの都に礼拝に上るときの賛美であり、祈りの言葉です。この讃美歌を口ずさみながら、あるいはこの祈りの言葉を口に上らせながら、エルサレムを目指したのです。神を礼拝するために。私たちには、今では旧約の民と同じような巡礼の信仰はありません。私たちはエルサレムでなくてもバチカンでなくても、どこででも神を礼拝することができます。しかし、私たちの毎週毎週の一週間は、もうすでにそれ自体が巡礼の旅であると思います。礼拝から礼拝へとめざす、神を礼拝するための旅です。私たちも一週間の旅を生きるために、詩編に収められた巡礼歌を口ずさみたいと思います。
苦難の時に主に呼びかけると、とこの詩編は始まっています。礼拝に向かう私たちの道は平坦ではありません。苦難がつきまとう。毎日の生活をしながら礼拝に向かっている以上、当然のことであるのかも知れません。しかしその苦難を単なる苦難とするのではなく、その苦難の中で神に呼びかけ、神を求めることが私たちには許されています。ご自分を呼び求める者に、神さまは答えてくださいます。
この詩編がどういうふうに神を呼び求めているのかといえば「偽りの唇、欺きの舌」から私の魂を助け出してください、と言っています。偽りを騙る唇、欺きを上らせる舌と決別する。平和を愛し、平和の言葉を口にし、神の前に歩んでいく。そのように決断しています。
偽りの唇、欺きの舌を退けて平和に生きる道を選び取るということ自体が、私たちの礼拝に向かう巡礼の旅路なのだと思います。神さまの御前に進み出るにふさわしい者として自分を整える。失敗してしまうこともあります。疲れてしまうこともあります。しかし私たちの罪を赦し、私たちを憩わせてくださるのは、主なる神様です。キリストの恵みと平和が、今日一日も、あなたにありますように。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...