2021年5月18日火曜日

2021年5月18日(詩編121)

詩編121
私は山々に向かって目を上げる。
私の助けはどこから来るのか。
私の助けは主のもとから
天と地を造られた方のもとから。(1~2節)

これは、美しい山々やそこにある大自然を愛でながら、これらを造った神様を思い、生まれてきた言葉ではありません。そんな気がしてしまいますが、これはそういう言葉ではない。この詩編全体を見ると、ここでの山々、あるいは6節の太陽や月、これらはすべて脅威です。山々の脅威に打ちのめされ、太陽に灼かれ、月に心を奪われている者、この大自然の前で自分の無力さに打ちのめされている者の祈りです。この山々がどんなに圧倒的に自分にのしかかってきたとしても、私の助けは別のところから来る、と言うのです。
ちょうど、今、私たちも同じ祈りを献げることができるのではないでしょうか。疫病の蔓延をきっかけにして、生活が一変しました。しかし必ず私たちの助けは来ると信じ、望みを得たいと思います。
この助けは「天と地を造られた方のもとから」と言います。ここには、私たちの力では及ばない自然を、さらに創造された方への謙遜があります。疫病の蔓延によって生活が一変した、と書きました。このように書きながら少し複雑な思いも持っています。もとの生活が本当に正しい生活だったのかということについて、私たちは謙遜に振り返らなければならない気もしています。私たちは、本当は人間の力には余るものを、まるで支配できるかのように勘違いしていたのかも知れません。新しい病気との遭遇も、自然環境の破壊も、「天と地を造られた方」の前でのへりくだりを忘れたことへの必然的な結果であるのかも知れません。
主なる神様は、必ず私たちを助けてくださいます。だから、造られたものとして謙虚にそれを待ち望み、また受け取りたい。

主はあらゆる災いからあなたを守り
あなたの魂を守ってくださる。
主はあなたの行くのも帰るのも守ってくださる。
今より、とこしえに。

どのような脅威も、災いも、私たちを神の愛から奪い取ることはできません。神さまに祈り、神さまを求めて、今日という日を歩んでいきましょう。

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