2021年5月6日木曜日

2021年5月6日(詩編119:89〜96)

詩編119:89~96(ラメド)
もしも、あなたの律法が私の喜びでなかったなら
この苦しみの中で私は滅びたことでしょう。
とこしえにあなたの諭しを忘れません。
それによって私を生かしてくださったのですから。(92~93節)

この詩編は90節と96節が見事な対比になっています。90節「あなたのまことは世々に及び、あなたが据えられた地は揺らぐことがありません」、そして96節「どれほど完全なものにも、私には終わりが見えます。あなたの戒めはすべてに及びます」。この詩編の冒頭に近い90節では、「あなたが据えられた地は揺らぐことがありません」と言って、この地が確かであること、完全なものであることへの信頼が歌われています。ところが最後の節である96節では一転して「どれほど完全なものにも、私には終わりが見えます」と言っています。完全なものであるこの大地も、いつか終わるときが来る。ところがそんな大地が揺らぐことがないと言いうるのは、これをお造りになったのが神さまであるからです。本当に揺らぐことがない確かなものは、神さまの御言葉の御業です。急所は、大地そのものへの信頼ではなく神さまへの信頼です。
そのことを知ると、私たちに襲ってくる苦しみが相対化されます。この苦しみは絶対なものではない。絶対的なのは神さまとその御言葉だけです。神さまの御言葉である律法を喜びとするものは、苦しみの中でも滅んでしまうことはありません。私自身は小さくて弱く、儚いものに過ぎませんが、こんなに小さな私を造ってくださったのが何よりも確かな神さまだからです。
「私はあなたのもの、私を救ってください」。私たちはそう祈ります。私が私自身のものではなく、私の真実な救い主、イエス・キリストのもの。そのことが私たちを生きているときにも死んでいくときにも確かな、ただ一つの慰めなのです。

2025年1月15日の聖句

姦淫してはならない。(出エジプト記20:14) 夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。(1コリント7:3) 姦淫というと、浮気や不倫という言葉とすぐに結びついて考えられます。しかし単にそれだけではなく、聖書はもっと積極的にこのことを考えているように思います。...