2021年5月9日日曜日

2021年5月9日(詩編119:113〜120)

詩編119:113~120(サメク)
二心ある者どもを私は憎み
あなたの律法を愛します。
あなたは私の隠れ場、私の盾。
あなたの言葉を待ち望みます。(113~114節)

二心ある者ども、と言っています。この「二心」という言葉は、もとは「別れる」という言葉です。列王記上18:21では「あなたがたは、いつまでどっちつかずで迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従いなさい。もしバアルが神であるならバアルに従いなさい」と預言者エリヤが人々に言います。この「どっちつかず」という言葉です。この列王記の箇所はとてもおもしろく、日本聖書協会共同訳の訳注を見ると、この言葉は「二本の枝を飛び跳ねるのか」が原義だ、と説明されています。二心というのは、二本の木の枝を飛び跳ねながらとっちつかずになり、両方にいい顔をしようとして決めることのできない、分裂した心を指します。聖書ではしばしば神さまと私たちとの関係を夫婦の関係に例えます。そのイメージに従うなら、本来の伴侶と不倫相手との間で決めることのできないような状態ということでしょう。極めてだらしなく、不誠実です。神様からご覧になって二心になっていないか。私はそのような不誠実な心とは決別する、とこの詩編は言い切ります。
ほかの誰でもなく、主こそが私の逃れ場。バアルではない。お金でも他の欲望を満たす手段に頼るのでもない。主にこそ逃れ、主の御許でこそ憩う。一筋の心で主を愛します、という愛の表明です。
だから、私たちはこのように祈って良いのです。
「私を支えてください。
私が救われ
  常にあなたの掟を見つめることができるように」(117節)。
他の誰かや何かを頼りにするのなら、このような祈りをする必要はありません。しかし私を救ってくださるのは主なる神様、イエス・キリストの父なる神様。そう信じる以上、私たちは大胆に祈ります。「神さま、私を支えてください」と。主イエスご自身が「我らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え」と祈ることを教えてくださったのです。「救ってください」と祈るまっすぐな心、一筋の信仰を、父なる神様は喜んでくださる。それが私たちの信仰の確信です。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...