2021年6月15日火曜日

2021年6月15日(詩編149)

詩編149
ハレルヤ。
主に新しい歌を歌え。
忠実な人々の集いで賛美の歌を。(1節)
主はご自分の民を喜びとし
苦しむ人を救いによって輝かせる。
忠実は人々は栄光の内に大いに喜び
床に伏していても喜び歌う。(4~5節)

私たちが新しい歌を歌って賛美する神さまは、私たちの賛美に先立って私たちをご自分の民として喜んでくださっています。私たちの賛美は、神さまの喜びにこだまして始まります。しかも、その喜びは私たちのための喜び、私たちをご自分の民として喜んでくださっている喜びなのです。
神さまの愛が親の愛に例えられることがあります。親は子どもをどんなときにも、そこにいるだけで愛し、喜ぶ。そのような観点から語られることが多い。しかし私自身人の親になってみてつくづく思い知らされたのは、親の愛なんて、小さなものに過ぎないという現実です。自分の気持ちに簡単に左右されるし、子どもの心を受け取り損ねることなんてしょっちゅうです。子どもを自分の思い通りにしようとしてしまう過ちを、いつでもどの親でも起こす可能性があります。
しかし、神さまの愛はそうではありません。「主はご自分の民を喜びとし」というこの喜び、喜びを生み出す神の愛は、期待はずれな者、駄目な者への愛です。価値に反する者への愛です。愛に値しない者が、そこに生きている。神さまはそのことを喜んでくださいます。しかも、救ってくださるのです。私たちをご自分のものとして買い戻してくださいます。
だから、私たちは神さまの愛を喜び、尊び、神さまの栄光をほめたたえます。私たちが健康なときも、病の床にいるときにも。私たちの生きているときにも、死にゆくときにも。私たちをどのようなときにもご自分のものとして愛してくださる方の前に、私たちは今日も賛美をささげて生きていきます。

2025年1月15日の聖句

姦淫してはならない。(出エジプト記20:14) 夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。(1コリント7:3) 姦淫というと、浮気や不倫という言葉とすぐに結びついて考えられます。しかし単にそれだけではなく、聖書はもっと積極的にこのことを考えているように思います。...