2021年6月30日水曜日

2021年6月30日(箴言11)

箴言11
死に際して、悪しき者の希望は滅び
繁栄への望みも滅びる。
正しき者は苦難から助け出され
悪しき者が代わってそこに落ちていく。(7~8節)

死に際しても意味のある希望とは一体何か。今日の箴言はそのことを問うています。繁栄への望みは、死に際して、最期の時には意味を持ちません。
主イエスご自身がそのことはおっしゃっています。「あらゆる貪欲に気をつけ、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産にはよらないからである。」これはルカによる福音書12:13~21に書かれているたとえ話の導入の言葉です。愚かな金持ちが登場します。畑が豊作だったので大きな倉を建ててしまい込み、安心して飲み食いして楽しめと自分の魂に言い聞かせた。ところが、その晩神さまがその金持ちに言うのです。「愚か者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは、一体誰のものになるのか。」そしてこの話の最後に主イエスがおっしゃいます。「自分のために富を積んでも、神のために豊かにならない者はこのとおりだ。」
神のために豊かになる。そのことを、箴言では「正しき者」と呼びます。正しき者が苦難に遭っても、神がその人を助けてくださる。私たちを救うのはお金や豊かな財産やたくさんの物ではなく、神さまだけです。
今朝の箴言の言葉を読んで、私は、ハイデルベルク信仰問答の第一の問答を思い出しました。これをご紹介して、今日は終わりにします。

問 生きている時も、死ぬ時も、あなたのだた一つの慰めは、何ですか。
答 わたしが、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります。主は、その貴き御血潮をもって、わたしの一切の罪のために、完全に支払ってくださり、わたしを、悪魔のすべての力から、救い出し、また今も守ってくださいますので、天にいますわたしの御父のみこころによらないでは、わたしの頭からは、一本の髪も落ちることはできないし、実に、すべてのことが、当然、わたしの祝福に役立つようになっているのであります。したがって、主は、その聖霊によってもまた、わたしに、永遠の命を保証し、わたしが、心から喜んで、この後は、主のために生きることのできるように、してくださるのであります。

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