2021年7月28日水曜日

2021年7月28日(コヘレトの言葉3:18~22)

コヘレトの言葉3:18~22
人の子らの運命と動物の運命は同じであり、これが死ねば、あれも死ぬ。両者にあるのは同じ息である。人が動物にまさるところはない。すべては空である。すべては同じ場所に行く。
すべては塵からなり
すべては塵に帰る。(19~20節)

動物も人間も、死ぬことにおいては何ら変わるところがない、同じ運命をたどるのだ、と言います。死を前にして人間が動物に誇ってみせることなどできやしない、同じように死ぬではないかと言います。「人が動物にまさるところはない。すべては空である。」空、すなわちつかの間ということです。人間の命も動物と同じようにつかの間のものでしかない。やがて同じように土の塵として土に帰っていくのです。その点において動物も人間も変わるところはない。
そういうつかの間の存在でしかない私たちは一体どうやって生きていくのか?コヘレトはこのように言います。
「私は見極めた。人は自分の業を楽しむ以外に幸せはないと。それがその人の受ける分なのだから。
彼の後に起こることを
  一体誰が彼に見せることができようか」(22節)。
自分の業を楽しむことがつかの間の存在である私たち人間の幸せだ、と言います。神に与えられた分を楽しめ、と言うのです。これから何が起こるか分からない、自分の命が明日どうなるかも分からない。だから、今日という日を神に与えられた日として楽しみ、喜ぶがよいとコヘレトは私たちに訴えかけてくるのです。
新約聖書を読むと、私たちの死を越える望みは復活だと言います。十字架にかけられたキリストが復活したように私たちもやがて復活する。新約聖書はそのことを私たちの希望として示します。ところがコヘレトはまだそのことを知らないので、復活の信仰に従って語ることをしないのです。私はこのコヘレトの視点も大事だと思います。復活信仰を変に誤解してしまうと今の人生の価値を軽く考えてしまうことにもなりかねません。復活は究極的な救いの信仰ですが、究極の一歩手前にも大事なことがあります。私たちが今ここで神さまに与えられている今日という一日の課題に取り組むことも、復活の信仰に生きることと同じように大切です。コヘレトはその大切さと、またその幸いを知っているのです。

2024年4月20日の聖句

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