2021年8月7日土曜日

2021年8月7日(コヘレトの言葉9:11〜12)

コヘレトの言葉9:11~12
太陽の下、私は振り返って見た。
足の速い者のために競争があるのでもなく
勇士のために戦いがあるのでもない。
知恵ある者のためにパンがあるのでもなく
聡明な者のために富があるのでもなく
知者のために恵みがあるのでもない。
時と偶然は彼らすべてに臨む。
人は自分の時さえ知らない。(11~12a節)

今ちょうど大きなスポーツイベントが開催されていますが、実際の試合では必ずしも前評判が高い選手が勝つとは限りません。世界ランクの上位者が勝つとは限らず、時に番狂わせが起きます。卓球で勝つこともあれば柔道で負けることもあります。だからこそスポーツはおもしろい。勝ち負け関係なくスポーツを楽しめるのは、勝つか負けるか前もって分からないからです。
ここで「足の速い者」とか「勇士」とか言っているのは、恐らくそのようなスポーツの場面の話です。「コヘレトの言葉」がギリシアの文化を知っていたのか否かは研究者の間でも意見が分かれているようです。ですから古代オリンピアでの競争と関係があるのかどうかは分かりません。いずれにしても、足が速いからといって競争に勝てるとは限らないし、勇士だからといって戦いに勝つとは限らない。知恵ある者、聡明な者、知者が成功するとも限りません。肉体の鍛錬も知恵の鍛錬も、人間の努力の範疇の影響が大きい部分ですが、私たちの人生を左右するのは自分の鍛錬ではどうにもならないことも多いです。「時と偶然は彼らすべてに臨む。人は自分の時さえ知らない。」
私たちは自分の「時」に対して、無知です。自分がこれからどうなるのかも分からないし、努力をしたから必ず報われるとも限らない。あるいは神さまがすべてをすでに決めているのでその運命を推し量れば不幸から免れることができるということでもない。だから、聖書は占いを忌み嫌います。私たちは時に対して無知です。時は神さまの手の中にあります。「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は初めから終わりまで見極めることはできない」(3:11)。だから、神さまに信頼しよう、というのがコヘレトが私たちに伝える信仰です。私たちの努力ではどうすることもできない人生の「時」は、神の麗しい業の中にあるのだから、この美しい神の御業を信頼しよう。聖書は私たちにそのように語りかけます。

2024年4月24日の聖句

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