2021年9月21日火曜日

2021年9月21日の聖句

毎日私たちは神を賛美し、とこしえに、御名をたたえます。(詩編44:9)
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。(1テサロニケ5:16~17)

今日の御言葉を読んで、わたしはルカによる福音書の最後の場面を思い出しました。このように書いてあります。
「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」
主イエスが手を上げて祝福しながら天に上げられるのを見て、イエスを伏し拝み、使徒たちは絶えず神殿の境内で神をほめたたえていました。復活したキリストと出会い、福音の喜びを知り、キリストの祝福の中に生きていることを喜んで、神をほめたたえて毎日を過ごしていた。
「毎日私たちは神を賛美し、とこしえに、御名をたたえます。」この詩編の「毎日」というのは、本当に良い言葉です。私たちも毎日神さまをほめたたえ、賛美しましょう。主イエス様の祝福の手は、今も下ろされていないのです!今日もキリストは私たちのために手を上げて、祝福してくださっています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい」と聖書は言います。聖書が私たちに命じることは、法律とか掟とは違っています。何が違うかと言えば、法律に「いつも喜んでいなさい」と書かれていたとしても、それは無理です。強制力を持って喜ばせることはできません。喜んでいる振りならできても、心から喜ぶことは、強いられてはできない。喜びには喜びの根拠が必要です。そしてその根拠があれば、喜びは内面からわき上がってきます。私たちは信じています。キリストは今日も祝福の手を下ろしていない!キリストの祝福の事実が私たちに喜びを与える。だから聖書は命じるのです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい」と。キリストの祝福の手が、どんなときにも私たちを離れることは決してないから、私たちは今日も喜び、そしてそのキリストに祈ります。私たちの祈りは空しくない。天に昇ったキリストが、私たちの祈りを神に届けてくださるからです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...