2021年9月22日水曜日

2021年9月22日の聖句

慰めよ、私の民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。(イザヤ40:1)
イエスは群衆を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。(ルカ9:11)

主イエス・キリストは、父なる神様からの召命に応えて、人々を迎え、神の国について語り、治療が必要な人々をいやしておられた。どれも、溢れるような情熱がなければできないことです。人々を迎え、と書かれています。今日の新約聖書の聖句は5000人の群衆を五つのパンと二匹の魚で養ったという話の冒頭に書かれています。つまり、「群衆を迎え」といったときの「群衆」というのは5000人もの群衆です。いや、「男が5000人ほど」と聖書に書いてありますから、女の人を合わせれば一体何人でしょうか。すさまじい数の人々を、主イエスは迎えておられた。愛がなくては不可能です。
主イエスは、彼らのために神の国を語りました。福音を語り聞かせてくださった。これこそがこの群衆に一番必要なものだからです。これこそが、神さまが御自分の民を慰めよと言われた、その一番の慰めだからです。神の国は来た、実にあなたたちの間に来た。主イエスはそのように宣言し、この群衆ももうすでに神の国に生きていることを告知します。福音の出来事が、キリストが福音を宣言するここで現実になっていることを告げたのです。私たちに一番必要な言葉です。
そしてキリストは、治療の必要な人々をいやしてくださいました。キリストは一方的な振る舞いをなさらなかった。人々が痛んだり苦しんだりするのを無視して、私が言うことだけを聞いておけ、とはおっしゃらなかったのです。神の国がここに来ているしるしとして、人々の痛みや苦しみをいやしてくださいました。目の前の「一人の人」への愛と共感がなければできないことです。
「慰めよ、私の民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。」キリストは、私たちを慰めてくださる方です。私たちを迎えるために手を広げて駆け寄ってくださいます。あの失われた息子の父のように。私たちに福音を宣言するために、どんな反対に遭っても怯むことがありません。だから今も神の国の福音が響いて美しい調べを立て続けています。キリストは私たちの痛みに深く心を寄せ、共にそれを苦しみ、そしていやしてくださいます。キリストは私たちの痛みを代わりに苦しんで、私たちをいやしてくださいます。
このキリストは、今日も、私たちを離れてしまうことがありません。決してありません。キリストの平和が皆さんの内にありますように。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...