2021年9月3日金曜日

2021年9月3日の聖句

地は主の慈しみに満ちている。(詩編33:5)
自分の命のことで思い悩むな。(マタイ6:25)

これこそ、信仰者のまなざしです。「地は主の慈しみに満ちている。」私たちはこの言葉を信じ、この世界に満ちる主の慈しみに信頼します。この信頼は、私たちの自然の目からして当たり前のことではありません。この世界には私たちの知らなかった厄介なウイルスもたくさんあるし、自然災害もあります。それだけではなくて人間の欲が世界を変えてしまうし、自然からの収奪は止まらない。戦争の噂が絶えない世界です。権力闘争のために自国民を平気で犠牲にする政治が放置されています。それでも、私たちは信じます。「地は主の慈しみに満ちている」と。
「地は主の慈しみに満ちている。」これは、信ずべき事柄です。誰がどう見ても明らかな、当たり前のことではありません。主なる神様の慈しみは、例え私の目に見えるところや感情、常識的な判断に逆らったとしても、この地に満ちていると私たちは信じるのです。だから、主イエスは言われます。「自分の命のことで思い悩むな。」地に満ち満ちる主の慈しみがこの私にも向けられていることを信じよ、と主イエスは私たちに言われるのです。あなたはこれを信じますか?
キリスト者のフォトジャーナリストの桃井和馬さんが、御著書の中で、戦争や紛争はどうして起きるのかという話をしておられました。よく宗教が原因で紛争が起きていると言われるが、桃井さんはそれは間違っていると言います。いろいろな紛争地に行ってそこを見てきたが、紛争の原因は土地やオイルだった。それらはすべてもともと地球にあるものだ。宗教は謂わばこの土地に満ちている油のようなもので、油がそこにあるだけでは火事にはならない。ところが土地やオイルの奪い合いが火花を生み出す。するとオイルに火がついてしまう。地に満ち満ちる主の慈しみを奪い合うとき、大火事が起きてしまいます。それは海の向こうの話では済みません。
今こそ、主の慈しみがこの地を満たしているという事実に立ち帰る時です。私たちは神さまに新しくして頂かなくては、生まれ変わることができません。主は私たちをいつでも慈しみで満たしてくださいます。奪い合い、火花を散らす私たちを新しくし、主の慈しみに信頼し、平和を得させることがおできになるのは、神さまだけです。だから、この世界には私たちの悪にもかかわらず神の慈しみが満ちているのです。この慈しみこそが私たちの平和の道に他なりません。

2025年1月15日の聖句

姦淫してはならない。(出エジプト記20:14) 夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。(1コリント7:3) 姦淫というと、浮気や不倫という言葉とすぐに結びついて考えられます。しかし単にそれだけではなく、聖書はもっと積極的にこのことを考えているように思います。...