2021年11月17日水曜日

2021年11月17日の聖句

灯を持たずに闇を歩くときでも、主の名に信頼し、自分の神を支えとする者ではないか。(イザヤ50:10)
私たちは預言の言葉をより確かなものとして持っています。夜が明け、明けの明星が心の中に昇るときまで、暗いところに輝く灯りとして、この言葉を心に留めて置きなさい。(2ペトロ1:19)

今日の旧約聖書の御言葉は、節の途中から引用されています。前半にはこのように書かれています。「あなたがたのうち、誰が主を畏れ、その僕の声に聞き従うのか。」それは「灯を持たずに闇を歩くときでも、主の名に信頼し、自分の神を支えとする者ではないか」と続いている。
町で生活をしていると、闇を経験することはほとんどありません。神学生の時に夏期伝道実習で高知県の教会に行きました。子どもたちの夏のキャンプに同行しました。四万十川のほとりに泊まりました。夜、本当に真っ暗になりました。上を見ると、山と山の切れ間から息をのむような星空が見えました。しかし目を下に落とせば何も見えません。灯りを消せば、本当に真っ暗になってしまう。「灯を持たずに闇を歩くときでも、主の名に信頼し、自分の神を支えとする者」、その人こそが神さまの御言葉を信頼し、聞き従う者だ、と言います。闇は、恐ろしいものです。何も見えない。どこに石が転がっているかも分からないし、どこに誰が潜んでいるかも分かりません。闇の中では、美しく輝く星でさえも何か恐ろしいような気がしてしまいます。しかし、主の名に信頼し、自分の神を支えとするならば、私たちはどのようなときにも大丈夫です。
私たちには、さまざまな暗闇の経験が襲いかかってくることがあります。しかし、どんなに闇が深くても、星でさえも恐ろしく見えてしまうほどに真っ暗だとしても、主の言葉に信頼すれば、私たちは必ず大丈夫です。
「私たちは預言の言葉をより確かなものとして持っています。夜が明け、明けの明星が心の中に昇るときまで、暗いところに輝く灯りとして、この言葉を心に留めて置きなさい。」どんな光も頼りにならないときが来たとしても、神の御言葉が私たちの灯りです。キリスト御自身が私たちのための夜明けを告げる明けの明星です。キリスト御自身が、その御言葉が、私たちを照らす灯りとなってくださる。だから他のどのような光ももはや必要ではないのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...