2021年11月19日金曜日

2021年11月19日の聖句

私たちを救ってくださる神がおり、死から救いだしてくださる主がいる。(詩編68:21)
イエスが死んで復活されたと私たちは信じています。それならば、神は同様にイエスにあって眠りについた人たちを、イエスとともに導き出してくださいます。(1テサロニケ4:14)

8月に逝去されたSさんは、ご自分の死への準備をしてこられた方だと思います。三度も徴兵された経験、戦後の結核での闘病。そういったことも手伝ったと思いますし、何よりも90歳を超えて洗礼を受けて最期を迎えた妻、Eさんが存在も大きかったことでしょう。Sさんが洗礼をお受けになった理由は、ご自分の死への準備でいらしたと私は受け止めています。
「私たちを救ってくださる神がおり、死から救いだしてくださる主がいる。」神さまは、私たちを死から救いだしてくださいます。だから、神を信じ、洗礼を受けるにまさる死への備えはないのです。
洗礼は、もとは水の中に沈められることで授けられていました。私たちの教会では頭に水を注ぎますが、これは全身が水に沈んだという象徴です。(だから水をかける場所は頭でなければなりません。)水に沈むというのは、死の象徴です。私たちは洗礼を受けるときに一度死ぬのです。
しかし、水に沈みっぱなしではありません。水の中から引き上げられる。それは、今日の聖書の御言葉に書かれているとおりです。「イエスが死んで復活されたと私たちは信じています。それならば、神は同様にイエスにあって眠りについた人たちを、イエスとともに導き出してくださいます。」水に沈められて死んだ者がキリストともに新しい命を生きる。その象徴として、私たちは洗礼を受ける。
洗礼を受けた者は、もう一度死に終わった人です。今はもう新しい命に生きています。やがて私たちの命は終わる。私たちは死にます。しかしその死は死で終わらない。キリストともに復活の命にあずかります。だから、洗礼こそが最高の死への準備です。
今日も私たちは自分のすべきことをします。生きるために必要な仕事をします。今日の私たちの一つひとつの業も、すべて死への準備です。私たちのやがて迎える最期の時に備えるために、私たちは今日を生きる。キリストともに生きます。私たちを新しい命に生かしてくださっている方が同伴してくださいます。キリストの命を照らす光の中に、今日も私たちはいるのです。

2024年12月26日の聖句

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