2021年12月23日木曜日

2021年12月23日の聖句

天の神に向かって両手とともに私たちの心を挙げよう。(哀歌3:41)
祈りと願いを止めてはならない。いつも霊によって祈り、そのために目を覚ましていなさい。(エフェソ6:18)

国や文化によって、祈りのスタイルはずいぶんと違うようです。フィリピンの教会では、大きな声で祈っている人が多かったように感じました。アメリカでもブラジルでも、それぞれのスタイルで祈りをささげているのでしょう。私たちは手を組んで、どちらかというとうつむいて祈る人が多いように思います。ところがイスラエルでは、むしろ手を上げて、天を仰いで祈っていたようです。
「天の神に向かって両手とともに私たちの心を挙げよう」。これは、旧約聖書の哀歌の一節です。戦争で祖国が敗れて国が破滅したことを悲しむ祈りの言葉であり、また、そこに至るまで重ね続けた罪を悔い改める祈りの言葉です。そういう祈りの時にも、やはり手を上げて、天を仰いで祈っている。更に、具体的に何を祈っているかが続く次の節に書かれています。「わたしたちは、背き逆らいました。あなたは、お赦しになりませんでした。」これも、悔い改めの言葉です。自分たちが重ねた罪の数々がこの破滅を呼び込んでしまった。私たちの罪が神に裁かれた。そのことに深く思いを向け、罪を認め、悔い改めています。更に続く節では、「わたしたちは自らの道を探し求めて、主に立ち帰ろう」と祈ります。主なる神様の御許へ帰ろう、と言うのです。
この祈りを手を上げて祈っていたということは、私たちの感覚とは違うのではないかと思います。むしろ私たちであれば顔を上げられないような祈りです。しかし、はるかに天を仰ぎ、他ならぬ神の憐れみをこいねがって、手を上げて祈る。これもまた真実な祈りではないでしょうか。
「祈りと願いを止めてはならない。いつも霊によって祈り、そのために目を覚ましていなさい。」祈る者として、目を覚ましていなさい聖書は告げます。神の前で祈ること、神に願うことを止めてはならない。それぞれのあり方で、真摯に神の前で注ぎ出す心を、神は必ず憶えてくださっています。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...