2021年12月4日土曜日

2021年12月4日の聖句

イスラエルは永遠の救いによって主に救われ、あなたがたは、永遠に恥じ入ることも辱められることもない。(イザヤ45:17)
義しい人々は、彼らの父の家の太陽のように輝く。(マタイ13:43)

今日の御言葉を読んで、私は、私たちの教会の信仰の大先輩、 YTさんのことを思い出しました。かつて、YTさんがまだ地上の生涯を生きておられたとき、お目にかかると、いつも熱い祈りを一緒に献げておられました。キリストの勝利を信じ、神の栄光を仰ぐ内容の祈りをいつも献げていました。本当に熱い信仰者です。
神さまは、私たちを永遠の救いによって救ってくださいます。私たちを太陽のように輝かせてくださるのです。YTさんはキリストの勝利をいつも信じて祈り、神さまの栄光を仰いでおられました。このキリストの勝利に私たちもあずかり、神さまの栄光に照らされて、私たち自身も光のように輝く救いの時が必ず来る、と聖書は言います。
今、私たちが味わっている現実は、それとは全然違うかも知れません。「永遠に恥じ入ることも辱められることもない」と聖書は言います。しかし私たちの現在は、恥や辱めの中にあるかも知れません。神さまを信じているがために、いやな思いをさせられたり、恥をかかされたり、つらい目に遭うことが、私たちには必ず起きます。キリスト御自身が迫害されたのですから。弟子は師に優りはしない。しかしそうであるからこそ、私たちはやがてキリストの栄光にあずかり、キリストの勝利にあずかる。私たちの目の涙がことごとく拭われるときが来る。それが、神さまの約束です。
明日の日曜日は第二アドベントです。私たちは、明日もキリストを待ち望んで、祈りの道を上っていきます。キリストを待ち望む。それは、キリストの勝利を仰ぐということです。神さまの栄光の前にひれ伏すということです。神を礼拝するとき、私たちはキリストの光の中にすでに置かれているのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...