2022年1月29日土曜日

2022年1月29日の聖句

私は彼らを、罪を犯させるあらゆる背きから救い、清める。彼らは私の民となる。(エゼキエル37:23)
あなたがたは神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを知らないのですか。(1コリント3:16)

あなたがたは神の神殿だ、と言われています。神の神殿。旧約聖書の出エジプト記では、荒れ野を旅する神の民の中心にある幕屋の話がでてきます。あるいは列王記にはソロモン王が神殿を建築したときのことが記録されています。どちらも同じ目的を持っている。神を礼拝し、ささげ物を献げ、神に祈るための場所です。聖書は私たちに言います。「あなたがたは神の神殿」。私たち自身が神さまの神殿だと言います。私たちは神に祈るために、礼拝を献げるために、エルサレムまで行かなくてよいのです。神さまは、私たちを神殿としてくださいました。私たちはどこででも祈ることができるし、それどころか神さまは私たちの内に住んでいてくださるのです。「神の霊が自分の内に住んでいることを知らないのですか。」
ここに、石で造られた神殿が例えどんなに立派で荘厳なものであったとしても、どれほどの技術の粋を寄せ集めて造られたものであったとしても、それにまさるものがあります。ソロモンは七年もの年月をかけた神殿を建築しましたが、その完成の時にこのように祈りました。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。(列上8:27)」ところが、何と、神様ご自身の霊が私たちの内に住んでくださっているのです。
その事実を知ったとき、私たちの生き方は変わります。圧倒的な恵みの事実を前にすると、変わらざるを得ません。神さまが私の内にも住んでいてくださる。この恵みを無駄にすることはできないからです。「私は彼らを、罪を犯させるあらゆる背きから救い、清める。彼らは私の民となる。」神さまが、私たちを救ってくださいます。神さまが、私たちを清めてくださいます。ご自分の住まいとして。だから私たちは、この後は神のものとして生きていきます。
そこには罪との戦いが起こります。いつ負けてしまうか、不安になります。しかし心に留めたいのは、罪とは掟に背くことではなくて、神さまの恵みを無駄にすることだということです。私たちはキリストに教えていただいたとおりに祈って、今日の日を生きていきます。我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。神様ご自身が私と共にいてくださって、どうか私を守っていてください。私が与えられた恵みを無駄にせず、キリストのものとして歩むことができるように。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...