2022年1月6日木曜日

2022年1月6日の聖句

私に対して犯したすべての過ちから彼らを清め、彼らを赦す。(エレミヤ33:8)
イエス・キリストは、私たちの罪、いや、私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。(1ヨハネ2:2)

今日の御言葉は、旧約聖書も新約聖書も、罪を問うています。罪とは何か。それを知る一つの道は、律法です。律法の中の律法とも言うべきは十戒です。「あなたには私をおいてほかに神があってはならない」「あなたは刻んだ像を造り、それにひれ伏してはならない」「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」「安息日を心に留め、これを聖別せよ」「父母を敬え」「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」「隣人に関して偽証してはならない」「隣人の家を欲してはならない」。これら一つひとつを物差しにして、自分を省みるとき、自分が曲がってしまっていることに気づかないわけにはいかなくなる。更には、主イエスは律法を二つの言葉に要約なさいました。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの主なる神を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」。主イエスは、律法の急所を愛だとおっしゃいます。つまり罪とは、愛にもとる私たちの現実のことです。
12月に映画"MINAMATA"、水俣病に揺れる1971年の水俣に入ったユージン・スミスという実在の写真家をモデルにした映画を観ました。正直に言って、私は水俣病のことをほとんど知りませんでした。学校の社会科で習った程度です。私にとってはかなり衝撃的な映画でした。水俣の海に有機水銀を垂れ流していたチッソは、しかし、長い年月にわたって責任を認めようとはしませんでした。ユージンが行ったフォト・ジャーナリストとしての取材をもみ消そうと様々な工作をしました。チッソは戦前から戦後に渡って長いこと日本経済を牽引するような地位にあったので、国もこの公害を見て見ぬ振りをしてきました。金儲けのためにつくられた企業や国のシステムは極めて非人間的で、水銀中毒で苦しめられる市井の人の痛みなど意にかえさない姿は、醜悪でした。決定的に愛が欠落していました。愛の欠落、つまり罪は、人を醜悪にします。それは一企業や国だけの問題ではなく、私たち自身への問いです。私たちも、このような公害を生み出してきた経済発展に支えられてきたし、それを享受してきたのです。
「私に対して犯したすべての過ちから彼らを清め、彼らを赦す。」「イエス・キリストは、私たちの罪、いや、私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。」これら二つの御言葉は、どちらも、私たちを罪から救おうとする神さまの強い決意を語ります。本当に、私たちは、神さまに罪から救って頂かなくては、再生不可能です。骨身にしみてそのことを知り、本気で救いを求め、今日の日を祈りの日としたい。そのように願います。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...