2022年2月1日火曜日

2022年2月1日の聖句

ユダの家の救われて残った者は、改めて下方に根を下ろし、上方に実を結ぶ。(王下19:30)
根が聖なるものであれば、枝もそうなのです。(ローマ11:16)

根をしっかり張らなければ、よい実を結ぶことはできません。そしてその根はその植物に適した土に張っていないと、結局全体が涸れてしまいます。水の量や肥料の種類や量など、とにかくたっぷりやれば良いというわけではなく、適した量を適したタイミングで与え、植物の生育をよく見守ることが大切なのだと思います。
「根が聖なるものであれば、枝もそうなのです」と言っています。根が聖なるものになるというのは、聖なるものに根ざしているからではないでしょうか。旧約聖書の方の御言葉では「ユダの家の救われて残った者は」と言っています。救われて残った者。神さまに救って頂いた者です。この救いの出来事こそ、私たちの根ざす聖なるものに他ならないのではないでしょうか。私たちは、私たちを救ってくださるキリストの愛と憐れみに根ざして、聖なる根を張るから、聖なる枝を張り、聖なる実を結ぶことができるのです。
例えば、パンデミックに襲われたこの二年間のことを考えてみると、今この世界は深刻に愛を必要としていることは間違いないのではないかと思います。世界は無関心や不寛容に覆い尽くされた様相を呈しています。パンデミックが始まる前からそうでした。この二年、社会のいろいろなところに無理が出ているので、覆い隠せなくなってより鮮明になっています。ドラックストアにマスクや消毒液を求めて人が殺到し、店員が罵声を浴びせられていたのは、それほど昔の話ではありません。似たような不寛容はいろいろなところで顔をのぞかせるし、自分のことで精一杯で他人に関心を払う余裕が私たちになくなってしまっているように思います。今、世界は深刻に愛を必要としている。
しかしだからといって、自分の頑張りで愛を搾りだそうとすると、すぐに無理になってしまいます。枯れてしまう。頑張りや努力ではどうしようもない。愛の実を結ぶには、聖なる根が必要です。聖なるキリストの救いに根ざす根を下ろさなければ、私たちには愛の実を結ぶことができません。キリストが私を無限に愛して飼い葉桶に生まれてこられたこと。キリストが私のために十字架にかけられたこと。キリストが私の罪を赦すために甦ったこと。そういう一つひとつのキリストの出来事に根を張るなら、その時初めて、私たちにも愛の実りが結ばれます。キリストの愛に根をおろして、私も、愛の実りを結ぶのです。

2024年4月23日の聖句

神の道は完全。(詩編18:31) (イエスの言葉)「神の国は次のようなものである。人が地に種を蒔き、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるからだ。」(マルコ4:26~28) 福音書記者マルコは主イエ...