2022年2月16日水曜日

2022年2月16日の聖句

いかに幸いないことでしょう。あなたを自分の力とし、こころからあなたの後を追う人は。(詩編84:6)
目を覚まして、信仰に立ち、勇気に溢れ、強くありなさい。(1コリント16:13)

あなた、つまり神さまを自分の力とし、こころから主なる神様の後を追う人。その人は幸いです、とこの詩編は祈っています。新約聖書でも「勇気に溢れ、強くありなさい」と言っています。信仰に立つとは、勇気に溢れ、強くあることだと言うのです。このようにして聖書が勇気や力を大切にしているというのは、とても心に残ることです。そうとすると、臆病とか怖がりというのはあまりほめられたことではないということになるのだと思います。私はとても臆病なので、とても刺さるところのある御言葉です。
新約聖書のテモテへの手紙二にこのような御言葉があります。「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしたちが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。」この手紙を書いた使徒パウロは、臆病にならずに主イエス・キリストの証人として、喜んで共に苦しもうと言います。臆病と主イエスさまの証人になることとは両立しないというのです。
二年前に新型コロナウイルスが欧州で急激に蔓延しだして、まだ病気の正体も詳しくは分かっていなかった時期に、たくさんの牧師や神父たちが亡くなりました。病む人のところに行って、この人たちのための魂の配慮をして、病気に感染してしまったのです。これらの人たちは、主の証人としていき、臆病にならずにキリストの愛に生きぬきました。
臆病にならずに神さまの力に頼り、強くあることを、「目を覚まして、信仰に立ち」と言っています。臆病風に吹かれてしまっては、居眠りしているのと同じです。信仰の眼を開いて、目を覚ましている。この目をただキリストにだけ向ける。私たちが乗る小舟を揺らす波の高さや、風の強さを推し量るのではなく、私たちの前におられるキリストにだけ目を注げば良い。キリストに対して目を覚ましていなさい。そうすれば、強く、雄々しく、キリストをただ信じて、このときを生きることができるから。聖書は私たちにそのように訴えかけています。

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29) これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79) 主なる神さまの憐れみの心によって。これが...