いかにさいわいなことか、主を神とする国、主が嗣業として選ばれた民は。(詩編33:12)
あなた達は今や子であるから、実に「アッバ、父さん」と呼びかけるみ子の霊を、神は私たちの心に送られた。だからあなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば神による相続人です。(ガラテヤ4:6~7)
「あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です」と、聖書は私たちに宣言します。あなたは子、神の子。これが、聖書が私たちに告げる福音の事実です。あなたは神の子です。
アメリカ合衆国長老教会が20年くらい前に「はじめてのカテキズム」という本を出しました。最初に、このように問います。「あなたは誰ですか。」こう問われたら、あなたはどう応えますか?私は宮井岳彦ですといった具合に名前を答えるか、どこそこに住んでいますとか、何の仕事をしていますとか、誰々が家族ですとか、そういう答えもできるかも知れません。このカテキズム(信仰問答)では、このように答えます。「わたしは神さまの子どもです。」あなたは誰ですかと尋ねられたら、私たちは、私は神さまの子どもですと答えることができる。私たちは、自分が神の子だと、自分という人間を知ることができるのです。
私は神さまの子ども。それは、私たちが神さまを「父」とお呼びして祈っている事実によって確かめられます。「あなた達は今や子であるから、実に『アッバ、父さん』と呼びかけるみ子の霊を、神は私たちの心に送られた。」神さまは、私たちが神さまを「父」とお呼びして祈ることを、主イエス・キリストにあって喜んで受け入れてくださいます。神さまを呼び求める私たちが「父」とお呼びしたとき、お前は私の子ではないとはおっしゃらないのです。「アッバ」は、幼児が父を呼ぶときの、ほとんど喃語に近い言葉です。主イエスさまは「アッバ」と言って祈りをなさいました。私たちが神さまを父とお呼びするのは、主イエスさまのまねです。主イエスさまの口まねをして、私たちも祈る。そう祈っているとき、すでに神様ご自身の霊が私たちの心の中に働いてくださっているのです。
私たちが神さまの子というのは、本当に壮大な福音です。私たちは神さまの御子イエスさまの口まねをして、この天地のすべてをお造りになった方を「アッバ」とお呼びします。そのとき既にその神様ご自身の霊が私の中で働いてくださっている。そうやってわたしたちに祈りの言葉を与え、私たちを喜んでご自分の子としてくださるお方への祈りのときを今日も尊く過ごしていきましょう。
あなた達は今や子であるから、実に「アッバ、父さん」と呼びかけるみ子の霊を、神は私たちの心に送られた。だからあなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば神による相続人です。(ガラテヤ4:6~7)
「あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です」と、聖書は私たちに宣言します。あなたは子、神の子。これが、聖書が私たちに告げる福音の事実です。あなたは神の子です。
アメリカ合衆国長老教会が20年くらい前に「はじめてのカテキズム」という本を出しました。最初に、このように問います。「あなたは誰ですか。」こう問われたら、あなたはどう応えますか?私は宮井岳彦ですといった具合に名前を答えるか、どこそこに住んでいますとか、何の仕事をしていますとか、誰々が家族ですとか、そういう答えもできるかも知れません。このカテキズム(信仰問答)では、このように答えます。「わたしは神さまの子どもです。」あなたは誰ですかと尋ねられたら、私たちは、私は神さまの子どもですと答えることができる。私たちは、自分が神の子だと、自分という人間を知ることができるのです。
私は神さまの子ども。それは、私たちが神さまを「父」とお呼びして祈っている事実によって確かめられます。「あなた達は今や子であるから、実に『アッバ、父さん』と呼びかけるみ子の霊を、神は私たちの心に送られた。」神さまは、私たちが神さまを「父」とお呼びして祈ることを、主イエス・キリストにあって喜んで受け入れてくださいます。神さまを呼び求める私たちが「父」とお呼びしたとき、お前は私の子ではないとはおっしゃらないのです。「アッバ」は、幼児が父を呼ぶときの、ほとんど喃語に近い言葉です。主イエスさまは「アッバ」と言って祈りをなさいました。私たちが神さまを父とお呼びするのは、主イエスさまのまねです。主イエスさまの口まねをして、私たちも祈る。そう祈っているとき、すでに神様ご自身の霊が私たちの心の中に働いてくださっているのです。
私たちが神さまの子というのは、本当に壮大な福音です。私たちは神さまの御子イエスさまの口まねをして、この天地のすべてをお造りになった方を「アッバ」とお呼びします。そのとき既にその神様ご自身の霊が私の中で働いてくださっている。そうやってわたしたちに祈りの言葉を与え、私たちを喜んでご自分の子としてくださるお方への祈りのときを今日も尊く過ごしていきましょう。