2022年3月24日木曜日

2022年3月24日の聖句

わたしは過ぎ去った日々を思い起こし、あなたの行ったことを一つ一つ思い返し、数々の御手の業について物語ります。(詩編143:5)
マリアは言った:主は慈しみを忘れず、その僕イスラエルを助けてくださいます。私たちの先祖に語られたとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。(ルカ1:54~55)

子育てをしてみて、記憶というのは侮れないなと思うようになりました。記憶の集積が人格を造る上で大きな役割を果たしていると思います。もちろんそれだけではない別の要素もたくさんあるのでしょうが、それにしても、記憶や思いでとその人の人格のつながりは深いと思います。自分の子どもに限らぬ子どもたちがどういう記憶を持っていくのか、そのために自分はどういうふうに関わっていくのかということは、一人の大人として責任重大だなと思います。
「主は慈しみを忘れず、その僕イスラエルを助けてくださいます。私たちの先祖に語られたとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」これはマリアが胎に幼子を宿していると知り、同じ神の御業にあずかっている親類エリサベトのところへ行ったときの賛歌ですが、ここでは「先祖」とか「アブラハム」という言葉まで登場します。自分一人の記憶にとどまらずに、先祖アブラハムに至るまでの世々の信仰者たちの記憶を思い起こしています。
「わたしは過ぎ去った日々を思い起こし、あなたの行ったことを一つ一つ思い返し、数々の御手の業について物語ります。」この詩編の言葉も、同じことではないでしょうか。わたしに、そして私たちに、神がどう関わってくださったのか。先祖も、私のことをも、神さまは如何なる御業で支えてくださったのか。その記憶の集積によって、私も、私たち神の民も形成されている。
私たちも思い起こします。聖書が伝える旧約から新約に至る神の民の歴史を。そして主イエスの後の時代、この2000年間の私たちにまで至る神の民・教会の歴史を。私たちも信仰の先祖が受け継いだ神の慈しみの中に生かされています。神はその慈しみを忘れず、私たち教会のためにたくさんの御業をなしてくださいました。私たちの教会の歴史の中でも、その数々を見ることができます。この僅か2年ほどを考えるだけでも、やっぱり私たちは神の慈しみの中に生かされています。この神の恵みの記憶を抱いて、今日も私たちの信仰者としての人格を形成する神の一日が始まります。

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...