2022年3月23日水曜日

2022年3月23日の聖句

主はわが巌、わが砦、わたしを救い出す方。(サムエル下22:2)
イエスは言う:あなたがたには世で不安がある。しかし、安心しなさい。私はすでに世に勝っている。(ヨハネ16:33)

主イエスさまが言ってくださいます。「あなたがたには世で不安がある」。主イエスはこの世で生きる私たちのことをよく知っていてくださいます。私たちが日々苦難に襲われ、不安になってしまうこと、平和と平安を失ってしまうことを、主イエスはよくご存じです。「あなたがたには世で不安がある。」これは、私たちは孤独ではないということです。主がわたしのことを深く知っていてくださるからです。私たちの心の奥底までも主イエスが様が知っていてくださる。主イエスさまは私たちを決して独りぼっちにはなさらないのです。
「あなたがたには世で不安がある。しかし、安心しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」私たちに不安が沸き起こり、世に負けそうになってしまっても、あるいはもう負けてしまっていても、私たちは大丈夫です。安心して良い。主イエス・キリストは、もうすでに世に勝っておられるから。わたしは駄目だけど主イエスがすごい分、二人合わせればイエスさまの分だけ勝てるようになる、という話ではありません。わたしがどうであろうが、主イエスはもう既に大勝利を収めておられる。もう勝負は付いています。主イエスの勝ちです。
主は、どうやって世に勝利を収めたのでしょうか。やはりそれは、十字架の上で勝利を収めたというべきだと思います。十字架は、残酷な処刑の方法です。生きたまま人間を磔にする。犯罪人を国家の名の下に処刑する方法です。死刑は最高の権力の発動です。国の権力によって人を殺すのですから。犯罪者が捕まり、裁判を受けて死刑を宣告されて、それが実行に移される。犯罪者は無力です。抗う術がない。主イエスは何の罪も犯したことがなかったけれど、しかしやはり無力な罪人になって、十字架にあげられました。「彼は虐げられ、苦しめられたが/口を開かなかった。屠り場に引かれて行く小羊のように/毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように/口を開かなかった。」しかしそうやって無力に上げられた十字架の上で、主イエスは神から栄光を受け、世に勝利し、私たちをその勝利にあずからせてくださったのです。
キリストの十字架の御業は、私たちの今日一日の平安、平和のための御業でもあります。キリストは今日わたしが生きるためにも、そのいのちを献げてくださったのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...