2022年3月31日木曜日

2022年3月31日の聖句

あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようになった。それでも、あなたがたは私のもとに帰らなかった ーー 主の仰せ。(アモス4:11)
私たちが真実でなくても、この方は常に真実であられる。この方にはご自身を否むことはできないからえある。(2テモテ2:13)

主なる神様は、いつでも、どのようなときにも私たちを招き、待っていてくださいます。私たちが主なる神様のみもとに帰ることを、私たちが神の愛の中に立ち帰ることを。まるで家を飛び出して失われてしまった息子が帰るのを待ちわびる父のように、神さまは私たちを待っていてくださいます。
「私たちが真実でなくても、この方は常に真実であられる。」常に、です。いつでも、どのようなときにも、神さまは真実でいらっしゃる。私たちの不真実を理由に、キリストはご自分の真実を放棄なさらないのです。私たちが神のもとを離れて遠い外国に行っているそのときにも、この父は私たちの帰還を待ち続けてくださるのです。
「あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようになった」と、預言者アモスの書に書かれています。私には、なかなか、自分が燃えさしのようだという指摘がよく分かりません。もうちょっとマシなような気がどうしてもしてしまうからです。しかしそれも、やはりあの失われた息子の手もとに父の財産があって、周りにはそれをたかる人が集まってきていて、勘違いをしているようなものなのかも知れません。あるいは兄息子の方が、自分は父のもとにいつでもいるのだと誇りに思いながら、内心に不満を抱えていたのと同じなのかも知れません。神様からご覧になったとき、実は私は炎の中から取り出された燃えさしのように、ほとんどゴミと見分けが付かないようなものでしかない。
しかし、それでも神さまはご自分の真実を貫いてくださいます。神さまの真実は、キリストを十字架にかけてまで貫く私たちへの愛によって示されました。この愛であるご自身を否むことのできない神の真実によって、私たちは今日も生かされています。
主イエス・キリストの祝福、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように。今日、そして明日も!

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...