2022年3月30日水曜日

2022年3月30日の聖句

私たちの神はその呪いを祝福に変えてくださった。(ネヘミヤ記13:2)
神はキリストにあって世を御自分と和解させ、人々に罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちの間に打ち立てられたのです。(2コリント5:19)

今日の旧約聖書の御言葉は、昨日の御言葉の後日談のような箇所です。後日談と言っても、数百年後の出来事。前後も合わせて引用すると、このように書かれています。
「その日、モーセの書が民に読み聞かせられ、アンモン人とモアブ人は神の会衆にとこしえに加われないとそこに記されていることが分かった。彼らがパンと水を持ってイスラエル人を迎えず、バラムを雇ってイスラエル人を呪わせようとしたからである。私たちの神はその呪いを祝福に変えてくださった。人々はこの教えを聞くと、混血の人をすべてイスラエルから切り離した。」
前後を合わせて読むと、かなり印象が変わります。ショッキングな事件の中に書かれた言葉であることが分かります。ネヘミヤ記というのは、バビロン捕囚から帰って来たユダヤの人々の様子を記録している書です。当時、完全に瓦解し、一度は滅んだ国を建て直そうと、彼らは神殿を再建し、町を再建し、何よりも神さまがかつてモーセを通して与えてくださった律法の言葉を厳格に守って再出発することを誓ったのでした。そういう流れの中で、昨日読んだバラクとバラムの出来事に基づいて、アンモン人やモアブ人、また彼らとの混血の人々を排除したのです。
この当時の状況からすると、恐らく必要なことであったのだと思います。しかしそうだとしても、私たちにはたいへん衝撃的な出来事でもあります。この厳格な律法への姿勢は、やがてファリサイ主義というかたちを取るようになっていきます。そしてここで排除された混血の人々の末裔がサマリア人です。厳格さの光と影のようなものをも感じさせます。そして、これが人間の限界なのだと思います。そもそもどうしてイスラエルの国が滅んだのかと言えば、神さまの律法を蔑ろにし、それぞれ自分の好きに生き、自分たちの欲望を神としてきたからです。そうやって滅んだことを真剣に反省して厳格に律法を守ったとき、今度はファリサイ主義が生まれていく土壌を作ることにもなってしまう。右に行っても左に行っても、そういう極端に傾いてしまうのが私たち人間の限界であり、また同時に、旧約聖書の限界でもある。
ところが、ここに新しい世界が広がっています。「神はキリストにあって世を御自分と和解させ、人々に罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちの間に打ち立てられたのです。」キリストが私たちの呪いを祝福に変えてくださるというのは、神と世との和解の出来事だ、と言うのです。私たち人間の努力では、和解に限界があります。必ず限界が訪れ、極端に傾いてしまいます。しかしキリストにある神との和解は、無限の神の赦しの下に成り立っているので、絶対に揺らぐことがありません。キリストにある和解、それは私たち人間相互の和解の基でもあります。主イエス・キリストにあって、私たちは呪いが本当に祝福に変わる、新しい世界を生きているのです。

2024年4月23日の聖句

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