2022年3月4日金曜日

2022年3月4日の聖句

主よ、私の目はあなたに向いています。私はあなたに信頼を寄せます。私を死の力にさらさないでください。(詩編141:8)
イエスは言う:私が生きているので、あなたがたも生きることになる。(ヨハネ14:19)

今、この祈りのとき、私たちの目を主なる神様に向けましょう。耳を澄まして神さまの御言葉を聞き、私たちの目を天に上げて、神さまを仰ぎましょう。「私を死の力にさらさないでください」と、この詩編は祈っています。私たちは、生きているときにも死にゆくときにも、私たちのただ一人の真実な救い主、イエス・キリストのものです。死が迫ってくるときにも、私たちは神さまを仰ぎます。主イエス・キリストが、死にゆく私と共にいてくださるからです。
「私が生きているので、あなたがたも生きることになる」とキリストは言われました。「私は生きている」。キリストは生きている。今、生きておられる!「主は生きておられる」というのは、キリスト教会最初の福音の言葉でした。十字架にかけられて葬られた主イエスを墓に尋ねたマグダラのマリアは、イエスが生きておられることを知りました。マリアは走って行って弟子たちのところへ行って、言います。「主は生きておられる!」それを聞いた弟子たちのところに、主ご自身が来てくださいました。キリストと新しく出会い、彼らも福音としてこの言葉をたくさんの人たちに告げました。「主は生きておられる!」
私たちも、同じです。「主は生きておられる!」キリストが今も生きておられ、働いておられることを私たちも信じ、そのことを福音として宣べ伝えています。主は生きておられる。だから、「あなたがたも生きることになる」とキリストは言われます。主が生きておられるから、私たちも生きる。キリストに命を頂いて、私たちも生きる。このキリストに頂いた命は、死の床ででもなくなりません。このキリストに頂いた命は、私たちをご自分のものとする神の力強いお働きです。私たちは生きているときにも、死にゆくときにも、変わることなくキリストのものです。だから、私たちには平安があります。主が生きておられるから。私を神のものとしてくださったから。もはや私たちは死の所有物ではなく、死に支配されているのではなく、私たちを愛してくださる真実なる救い主イエス・キリストのものです。ここに、慰めがあります。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...