2022年4月5日火曜日

2022年4月5日の聖句

彼らは主への賛美を唱和し、主に感謝した。「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに及ぶ。」(エズラ3:11)
一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた。(マルコ14:26)

「主は慈しみ深く、その慈しみはとこしえに及ぶ。」私たちも、アーメンと言って共に神さまを賛美します。「主は慈しみ深く、その慈しみはとこしえに及ぶ。」主の深い慈しみが私を生かし、とこしえに及ぶ慈しみが私を今日も守ってくださいます。神さまのこの慈しみと祝福が、今日もあなたにありますように!
今日の二つの御言葉は、賛美の歌を歌っているということの他に、もう一つの共通点があります。「彼らは主への賛美を唱和し」、そして「一同は賛美の歌を歌ってから」。独りぼっちで唱和することはできません。一同が声を合わせて賛美することは、一人ではできません。ここで神を賛美するのは「民」です。心を合わせた神の民が、共に神を賛美している。この民は、聖書が書かれた時代から今に至るまでの、無数の神を信じる者たちが含まれます。これまで神を賛美してきた数多の神の民の一員として、私たちも今日新しい思いをもって神を賛美します。
今日の新約聖書の御言葉は、主イエスさまと共に囲む食卓を終えた弟子たちの賛美です。主イエスさまと一緒に過越の食卓を囲んだ。その食卓を終えて、賛美の歌を歌ってからオリーブ山に出かけて行った。過越は神さまの救いの出来事。過越の食卓は神の救いの御業を思い起こし、心に刻み、神さまの慈しみの中に生かされていることを共に喜ぶ祭りです。神の慈しみの中を共に生きる者たちが心を合わせて神を賛美したのです。この賛美の群れに、私たちも参加しています。
私たちも聖餐としてこの食卓を繰り返し味わい、神の救いの御業を喜び、神さまの御前に賛美を献げながら歩んでいます。私たちの賛美の歩みを神が祝福し、私たちと共にいて、私の口に新しい歌を主が授けてくださいますように。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...