2022年5月30日月曜日

2022年5月30日の聖句

私は貧しく、惨めです。主はしかし私を気遣ってくださいます。(詩編40:18)
希望が水疱に帰されることはありません。(ローマ5:5)

主イエス・キリストと出会って私たちが知る希望は、私たち自身に依存しない希望です。私が私自身を見つめていても、希望は生まれてきません。「私は貧しく、惨めです」と詩編は言っています。この詩編は1節を見ると「ダビデの詩」と書かれています。ダビデは王ですから、貧しいわけではありません。もちろん子どものころは羊飼いの家に生まれたのですし、王になってからも息子に起こされた政変で命からがら逃亡生活を強いられたこともあります。しかし、ここで言っている貧しさや惨めさは、そういう一時的な苦難のことに留まらないと思います。神さまの前で、私は何と貧しく、惨めなのか、ということではないでしょうか。神さまの御前にあって自分の小ささや卑しさを知る。そこでは「私は貧しく、惨めです」と告白しないわけにはいかない。状況がもたらす苦難や卑賤もあるのでしょうが、それ以上に、神さまの御前にある自分の姿を告白しているのではないかと思います。
しかし、貧しく惨めな私を、神はお見捨てにはならなかった。「私は貧しく、惨めです。主はしかし私を気遣ってくださいます。」主が私を気遣ってくださった。苦しみや悲しみを嘗める時、しかし主が私を気遣っていてくださる。主の御前にも、人の前にも顔向けできない私を、しかし主が気遣い、再び立たせてくださる。この詩編は深くその事実に信頼し、神さまの御前にある希望を告白しているのです。
この希望を、神を信じる者は抱いています。そして「希望が水疱に帰されることはありません。」決して、神さまは神さまに望みをかける私たちを捨ててしまったりはなさらない。神さまは私たちの希望を、主イエス・キリストにあってかなえてくださいます。貧しく惨めな私を、神はご自分の前に立たせ、私たちがキリストにあって神の愛の中を生きるように、私たちを今日も守っていてくださいます。
今日も、神は私たちを祝福してくださっています。いつ、どこにいようとも、神さまの祝福の手が私たちから離れることは決してないのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...